戦死したプロ野球選手 | 女装男子かなこのブログ

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1945年の終戦から74年。

終戦時、日本のプロ野球はまだ9年目だったが、多くの選手が戦地で命を落としました。

プロ野球でにぎわう東京ドームの外構に「鎮魂の碑」という石碑が立っています。

この石碑はプロ野球に身を投じ、後年のプロ野球の繁栄の礎を築きながら戦争に従軍して命を落とした73人の選手を鎮魂するとともに功績を称える碑です。

1981年に当時の後楽園球場の脇に建立され、1988年に現在の位置に移されました。

この石碑は2枚あり、1枚は戦死したプロ野球選手の名前、もう1枚はプロ野球選手で唯一、特攻隊員として戦死した石丸信一の兄、石丸藤吉(元名古屋の選手)の追悼文と、建立時のセ・リーグ会長だった鈴木竜二による「建立趣意文」が刻まれています。

「鎮魂の碑」に名前の刻まれた選手は次の通りです。

◎は野球殿堂入り。

青柴憲一 巨人
青木勤 阪急
天川清三郎 南海
荒木政公 阪急
池田久之 阪急
石井豊 セネタース
石丸信一 名古屋
※石丸信一は神風特攻隊員として戦死した唯一のプロ野球選手です。
1943年10月12日大和戦で戦前最後のノーヒットノーランを達成、兵役を免れるためにプロ野球選手ながら日本大学の夜間部に在学していたが召集され、1945年5月11日に特攻隊員として出撃、そのまま帰還しませんでした。
その悲劇は「消えた春」というノンフィクション小説になりました。
伊藤健太郎 巨人
伊東甚吉 阪急
上田正 阪神
遠藤忠二郎 大東京
太田健一 イーグルス
大原敏夫 阪急
大宮清 金鯱
岡田福吉 大和
岡田宗芳 阪神
小川年安 阪神
小野寺洋 黒鷲
織辺由三 セネタース
戒能朶一 名古屋
景浦將 阪神◎
※景浦將は豪快な打撃と速球で投手と野手の二刀流で活躍、1937年秋に首位打者、防御率王を獲得、通算成績は323試合、打率.271、25本塁打222打点、56試合登板27勝9敗。
2度目の応召の後の1945年5月に戦死。
加藤信夫 阪神
川村徳久 阪急
北原昇 南海
鬼頭数雄 ライオン
※鬼頭数雄は、鬼頭政一(太平洋、クラウン監督)、鬼頭勝治(南海)の兄で、1940年に首位打者になるなど、戦前屈指の好打者でした。
木村孝平 黒鷲
国久松一 南海
倉信雄 巨人
桑島甫 阪急
後藤正 名古屋
沢村栄治 巨人◎
※沢村栄治は戦前屈指の大投手、速球と大きなカーブを武器にプロ野球初のノーヒットノーランを達成しました。
しかし最初の応召で、手榴弾の投げすぎで肩を負傷し、その後は技巧派に転向。
1944年に3度目の応召の後引退、同年12月2日に戦死しました。
通算成績は105試合登板63勝22敗、防御率1.74、ノーヒットノーランを3度達成。
戦後、背番号14は巨人の永久欠番になりました。
沢村栄治の功績を称え、1947年よりその年最も活躍した先発投手に「沢村賞」を授与しています。
三田政夫 巨人
島本義文 阪急
白木一二 名古屋
新富卯三郎 阪急
杉山東洋生 イーグルス
高野百介 南海
田中雅治 朝日
田部武雄 巨人◎
※田部武雄は明治大学から巨人に入団、アメリカ遠征では109試合で105盗塁をする活躍だったが、ペナントレースが始まる前に退団し、公式記録は残っていません。
辻源兵衛 阪神
寺内一隆 イーグルス
永井武雄 大東京
※永井武雄は大東京の初代監督だが、オープン戦で負けて解任され、公式戦での記録は残っていません。
中尾長 セネタース
中河美芳 イーグルス◎
※中河美芳は投手としてノーヒットノーランを記録、一塁手としては守備の名手として知られ「たこ足の中河」の異名をとりました。
中村三郎 大東京
中村政美 巨人
納家米吉 南海
西村幸生 阪神◎
※西村幸生は1937年秋に15勝3敗で最多勝利、酒好きで「酒仙投手」と呼ばれました。
1944年に応召し、翌年戦死。
野口昇 阪神
林安夫 朝日
※林安夫は1942年に541.1イニングのシーズン最多イニングのプロ野球記録を樹立したが、選手生活は翌年までの2年間に終わり、1944年戦死。
原一朗 阪神
平林栄治 阪神
広瀬習一 巨人
※広瀬習一は、沢村が応召した後21勝するなど、スタルヒン投手、中尾碩志投手に次ぐ巨人のエースとなったが、選手生活2年で戦火に散りました。
福士勇 ライオン
伏見五郎 イーグルス
前川正義 阪神
前田喜代士 名古屋
政野岩夫 南海
増田敏 南海
松下繁二 阪神
松本利一 金鯱
宮口美吉 南海
三輪八郎 阪神
※三輪八郎は左腕から繰り出す速球とカーブを武器に1940年8月には巨人戦で阪神投手初のノーヒットノーランを達成、1943年には開幕投手を務めたが、召集され1944年戦死。
村上重夫 ライオン
村瀬一三 名古屋
村松長太郎 セネタース
森国五郎 阪神
森田実 金鯱
八木進 南海
矢島粂安 巨人
吉原正喜 巨人◎
※吉原正喜は熊本工業時代、川上哲治投手とバッテリーを組み、甲子園で活躍、強打の捕手として期待されていました。
渡辺静 朝日
渡辺敏夫 阪急

阪急は現在のオリックス、名古屋は現在の中日、南海は現在のソフトバンク、大東京・ライオン・朝日は後の松竹で現存しない、イーグルス、セネタース、金鯱は現存しない)


また、これとは別に、「戦没野球人モニュメント」が野球殿堂博物館内にあります。

こちらは中等学校野球(現在の高校野球)、大学野球、社会人野球で(プロ野球の選手経験者は除く)、戦死した選手の功績を記念したものです。

対象の選手は中等学校野球(現在の高校野球)は選抜大会、選手権大会出場、大学野球は東京六大学、東都、旧関西学生、旧関西六大学の各連盟のリーグ戦出場、社会人野球は都市対抗大会出場です。

東京ドームに行く機会があれば、ぜひとも鎮魂の碑と野球殿堂博物館も見てください。