自動車と同じように、鉄道車両も使っているうちにあちこちが傷んできます。
そのため鉄道会社は定期的に検査をし、劣化した部品を修理したり交換したりして延命を図りますが、「寿命」はいずれやってきます。
鉄道車両は鉄道会社が利益を出すために用いる「資産」であり、減価償却期間が定められています。
電車の場合、税制上の耐用年数は13年です。
しかし、13年が経過したら廃車しなければならない、ということはなく、法定検査をパスすれば14年目以降も問題なく使えます。
JR東日本209系電車は、製造コンセプトのひとつに「寿命の短縮」がありました。
これは、寿命を短くする代わりに部品の耐久性を高め、検査にかかる費用を減らそうという考えからでした。
しかし、故障が多かったため、後継車両のE231系からは、「寿命の短縮」の考えは外しました。
209系は簡素化された内・外装に加え、登場当初「13年後をめどに廃車を検討する」が「10年程度で廃車する」または「メンテナンス不要の使い捨て電車」などと報道されたため、レンズ付きフィルムの商品名をもじって、「走ルンです」と揶揄されました。
では、部品交換を続けていれば永久に使えるか、といえばそうとも限りません。
実際、毎年多くの車両が廃車されています。
鉄道車両の部品は部品メーカーが製造し、車両メーカーや鉄道会社に納品されていますが、部品メーカーがその部品の製造を終了すると、故障した際に交換部品が入手できなくなります。
そうなると、故障部分を含む機器や装置を新しいものに丸ごと交換するか、廃車して新型車両を投入するほかありません。
鉄道車両の寿命は、列車の走行距離が長くなるほど、最高速度が高いほど短くなります。
新幹線のように1日あたりの走行距離が長く、高速運転を行い、さらにトンネル通過時の激しい気圧変化でボディを酷使する車両は劣化が早まる傾向にあります。
そのため、在来線の車両が一般に30~40年程度使われるのに対して、新幹線車両は13~20年ほどで廃車となってしまいます。
特急用の車両がそれよりも前に製造された通勤用の車両よりも先に廃車されるケースも多く、JR東日本253系「成田エクスプレス」、京成AE100系「スカイライナー」、名鉄8800系「パノラマデラックス」、阪急6300系、西鉄8000系などがあります。
一方で機器構成が比較的シンプルで速度も遅い路面電車は、50年以上も使い続けられている車両が珍しくありません。
鉄道車両の劣化は全体が一気に進むとは限らず、車体は問題ないが床下機器が劣化した、あるいはその逆のケースなどまちまちです。
そのため部品交換で延命した結果、製造当初から使い続けている部品がほとんどなくなってしまうケースもあります。
相模鉄道の5000系電車は1955年に登場しましたが、1972年に車体を18mの普通鋼製から20mのアルミ製に載せ替えて延命、さらに1988年には足回りを交換してリフレッシュ、2009年に全車廃車されました。
製造後54年も運行したのですから鉄道車両としては「大往生」といえますが、廃車の段階で残っていたオリジナルの部品は、一部の運転台機器のみでした。
果たして相鉄5000系の「本当の」寿命は何年になるのか、意見が分かれそうなところです。
鉄道会社が利益を上げるために列車を走らせている以上、その車両が利益を上げづらくなった場合はたとえ寿命を迎えていなくても廃車にするケースがあります。
JR東日本のE331系電車は2006年に連接構造や直接駆動モーターなど数々の新機軸を組み込んで製造され、翌2007年に京葉線で営業運転を始めました。
しかし、改良や故障などからたびたび長期の運用離脱が生じ、ついにデビューからわずか4年後の2011年からは営業運転に就くことがなくなり、2014年に廃車となりました。
製造からわずか8年で廃車されました。
また、営業施策の都合で早く廃車された例としては、国鉄50系客車、名古屋鉄道1600系電車などが挙げられます。
50系客車は1977年に登場、約900両が製造され、全国各地でローカル輸送に活躍、1987年のJR発足時にはJR東海を除くJR旅客5社に継承されました。
だが、JR発足直前から大都市圏を除く普通列車は、それまでの客車の長い編成から一転して電車や気動車の短い編成で運転本数を増やす方針に転換、客車列車で短い編成では非効率になってきました。
加えて、牽引する機関車、主に交流電気機関車やディーゼル機関車が1960年代から70年代前半の蒸気機関車の廃止の時期に多く製造されたため老朽化が進んでいました。
そのため50系客車は製造から10~15年で廃車され、現在は「ノロッコ号」(JR北海道)「SL人吉号」(JR九州)といったイベント列車用に改造されたものが少数残るのみとなっています。
1600系は1999年に全車両指定席の3両固定編成で登場しました。
しかし、2008年に名鉄特急は、中部国際空港を発着する「ミュースカイ」を除いて特別車(指定席)2両と一般車(自由席)4両をつないだ6両編成に統一されることとなり、1600系も改造の対象となりました。
1600系3両編成を2両編成に短縮する際に余った先頭車両の「ク1600形」は、製造後わずか9年でしたが、ほかに使い道もないため廃車となりました。
最近ではホームドアの設置で、規格に合わないため多扉車両が早く廃車されることがあり、JR東日本E231系電車の6扉車(山手線用)、東急5000系電車の6扉車(田園都市線用)は、製造から10年もたたずに廃車されました。
ダイヤ改正も廃車のきっかけとなる事案です。
特にスピードアップが関係する場合、走行性能の劣る古い車両を一気に廃車するケースも珍しくありません。
東海道新幹線では、2階建て新幹線100系がこの例に当たります。
100系は1985(昭和60)年から製造が始まりましたが、1992(平成4)年の300系投入と「のぞみ」の運転開始をきっかけに、東海道新幹線の最高速度は220km/hから270km/hに引き上げられました。
しかし100系は270km/h運転に対応できず、東海道新幹線の高速化の足かせとなるため、東海道新幹線から100系は撤退、山陽新幹線では4~6両に短縮して使うため、まだ製造から11年程度の車両もあったにもかかわらず廃車が進みました。
前記の名鉄8800系「パノラマデラックス」も、これと同じケースでした。
また、少数しか製造されなかった車両、試作的要素のある車両は、運用の不便さや部品の互換性などの観点から早く廃車されることがあります。
量産を念頭に置いた試作車でも、試験の結果、量産されなかった車両は、営業運転に投入されずそのまま廃車されることがあります。
国鉄DE50形ディーゼル機関車、JR貨物EF500形電気機関車などがこれにあたり、JR北海道キハ285系気動車は営業運転どころか試運転もされず廃車されました。
廃車が早まるケースで多いのは事故や災害で大破、修理不能となったり、修理費用が新造するのと同じくらいかかると判断されると、廃車されます。
この場合、復旧作業に支障する、人命救助を優先する、搬出が不可能の場合は現場で廃車解体されることがあります。
事故廃車で編成の一部が欠けると、代わりの車両を製造したり、編成を組み替えることになりますが、製造を中止した車両、廃車時期の近い車両だとその編成の中で無傷だったほかの車両も廃車されることがあります。
このほか、新しい法令に対応できず、早く廃車されることがあります。
このケースには小田急ロマンスカー10000系「HiSE」、20000系「RSE」があり、床が高いハイデッカー構造で、交通バリアフリー法の規定に従っての床高さを下げたり段差をなくすことが困難なため、先輩格の7000系「LSE」よりも先に廃車されました。
廃車された車両は、地方私鉄や海外の鉄道会社に譲渡されて第二の人生を送ることがあります。
旅行や出張で、昔よく乗った車両を見かけると、懐かしさのあまり感激する人もいます。
また、歴史的、文化的、技術的な価値を認められ、博物館や鉄道会社の施設(車庫、工場、研修所など)、公園などで保存されることもあります。
しかし、残念ながらもっとも多いのは、解体されてスクラップにされてしまいます。
保存や売却を前提に保管していても、屋外で保管されて車体が傷んだり、売却交渉が決裂したり、保存場所や売却先が見つからず、解体されてしまうこともあります。
公園で保存された車両の中には、手入れが行き届かず荒廃し、解体されてしまうこともあります。
廃車の特殊なケースとして、広島電鉄の路面電車766号がテレビドラマ「西部警察」の撮影のために爆破されました。
これには、広島電鉄が撮影に全面協力しました。
爆破された766号は、撮影終了後、改めて解体されました。
昔の車両は車体が木製だったので、車体に放火して焼き払うこともありましたが、現在の日本の法律では禁止されています。
廃車車両の部品は、鉄道会社のイベントやネット通販、ネットオークションなどで鉄道ファン向けに販売されることがあります。
ただ、最近では、いたずら防止、転売防止、アスベスト問題から販売されることが少なくなり、結果的に廃棄されたりします。
廃車された車両を鉄道会社や民間の間で研修用に使用することもあります。
かつて、東京・自由が丘に存在したトモエ学園では、廃車された電車を教室に使用していました。
このことは、後に卒業生の黒柳徹子さんが著書の「窓ぎわのトットちゃん」で述べたことで知られるようになりました。
このように鉄道車両の寿命は、様々な事情で伸びたり縮んだりします。人間と同じく、鉄道車両も「人生いろいろ」なのです。