電車に乗っていると、車内照明がアナウンスなしで突然、消灯したのに、乗客は、ほぼ全員が何事もなかったようにしているという、そんな特異な光景が“日常”になっている場所があります。
その場所は、関門海峡の下を通り、本州と九州を結ぶ関門トンネルです。
その九州側入口付近にある門司駅(北九州市門司区)を境として、架線に流れている電気が、九州側は交流20000V60Hz、山口県下関市へ至る本州(関門トンネル)側は直流1500Vと異なります。
この、交流と直流の切替点を通過するとき、電車の構造上の理由から、車内の照明が消えるのです。
こうした、交流と直流の切替点は日本にいくつかあり、そこを通過するとき、比較的新しい電車🚃では室内照明が消えなくなっています。
常磐線の茨城県内・取手~藤代間を通るJR東日本のE657系電車「ひたち」「ときわ」、E531系電車、北陸本線の福井県内・敦賀~南今庄間を通るJR西日本の681系・683系電車「サンダーバード」「しらさぎ」、521系電車などがそうです。
関門トンネルの普通列車に使われる電車は、おもに40歳にもなる車両たち、国鉄型の415系交直流電車です。
いまなお車内の照明が消えており、それが“日常“で“当たり前“になっています。
交流と直流の架線はじかに接続できないため、その間に電気が流れていない部分があり、走行中に切り換えます。
国鉄型の交直流電車、415系をはじめ485系、583系、457系などは、交流と直流の切り換えの間に室内灯が消灯していました。
西村京太郎の小説「特急しらさぎ殺人事件」には、交流と直流の切り換えで室内灯が消灯する間に殺人事件が起きるという場面があります。
また、東京メトロ銀座線、丸ノ内線方南町支線も、以前は駅の手前で室内灯が消えるようになっていました。
昔の銀座線の車両は発電機がなく、室内灯の電源が送電用の第三軌条から直接供給されていたため、駅の手前の第三軌条が途切れた部分で室内灯が消灯していました。
1959~1963年に製造された2000形車両までがそうで、1993年まで運用されました。
1968年に登場した新1500形車両は発電機があったため室内灯は消灯しませんでしたが、銀座線の車両は基本的に昭和初期のシステムのまま平成まで使用されていました。
1983年に登場、今年まで運用された01系電車で銀座線の近代化が図られました。
最新の1000系電車では、イベント運転で室内灯の消灯が再現できる車両があります。
丸ノ内線方南町支線でも銀座線車両が運用されていましたが、こちらは丸ノ内線用の02系と交代して姿を消しました。