クイズ番組と海外旅行 | 女装男子かなこのブログ

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クイズ番組の優勝賞品といえば、何と言っても海外旅行✈✨です。

海外旅行✈✨が初めて賞品となったクイズ番組は、1963年に放送が始まった「アップダウンクイズ」(毎日放送)でした。

それまで国内旅行や電化製品が中心だった優勝賞品が、1970年代以降は海外旅行✈👜が中心となりました。

海外旅行の獲得には二つのパターンがあります。

ひとつは一定の条件をクリアすると獲得できるもので、「アップダウンクイズ」のほか、「クイズタイムショック」(テレビ朝日)「世界一周双六ゲーム」(朝日放送)などがあります。

もうひとつは優勝者だけが挑戦できる特別な問題に正解すると獲得できるもので、「クイズ100人に聞きました」(TBS)「パネルクイズ アタック25」(朝日放送テレビ)などがあります。

「アップダウンクイズ」は10問正解を達成するとハワイ旅行獲得となりました。

これは早押しで解答権を得た問題を10問連続して正解しなければならず、不正解だとゴンドラ解答席が一番下まで降下しました。

1回目の不正解は解答席の降下のみ、2回目の不正解は解答席降下に加えて失格となっていました。

厳しいペナルティのため、終盤で不正解してしまうと挽回がほぼ不可能で、中には解答席降下中に失神してしまい、最後まで解答できなかった人もいましたした。

「クイズタイムショック」では1分間に12問全問正解すると、好きな世界旅行が贈られました。

最も多く正解した出場者にはトップ賞が贈られるとともにチャンピオン戦の挑戦権が与えられましたが、全問正解者は別格扱いで、トップ賞とチャンピオン戦の挑戦権はありませんでした。

また、チャンピオンが5週勝ち抜きを達成した場合も、同様に好きな世界旅行が贈られました。

「クイズタイムショック」で海外旅行の賞品があったのは田宮二郎さん(故人)、山口崇さんの司会の第1期(1969~1986年)のみで、生島ヒロシさんの司会の第2期(1989~1990年)、中山秀征さんと新山千春さんの司会の第3期(2000~2004年)では海外旅行の賞品はなく、その後は改編時の特番となり視聴者参加でなくなってしまいました。

このうち第2期は視聴率が低迷したためわずか半年で終了、大相撲の元横綱栃錦の死去による追悼特番で休止したこともありました。

「世界一周双六ゲーム」はクイズに答えてサイコロ🎲を振り、正解なら出た目の数だけ前進、不正解なら後退、ゴールに到達するとアメリカ旅行獲得となりました。

ゴールはちょうどの数でなくても上がれましたが、ジャスト宣言をするとちょうどの数でないと上がれなくなり、その代わり海外旅行はペア招待になりました。

「アップダウンクイズ」と同様に、時間がある限りクイズの出題が続いたため、1回の放送で2人の海外旅行獲得者が出たこともありました。

コースの途中にガックリ都市が2か所(のち3か所)あり、そこに止まるとスタートに戻されました。

特に、終盤でガックリ都市に止まってしまうと、挽回はほぼ不可能でした。

ゴールした出場者が出なかった場合、最も遠くのマスまで進んだ出場者にトップ賞が贈られました。

ゴールした出場者が出た場合、トップ賞の商品は視聴者プレゼントになっていました。

「クイズ100人に聞きました」は、勝利チームがハワイ旅行をかけた問題「トラベルチャンス」に挑戦しました。

「トラベルチャンス」では1人に1問ずつ問題が出され、獲得したポイントによってハワイ旅行に行ける人数が決まりました。

3人以上が不正解または1桁ポイントの解答を当ててしまうと、ハワイ旅行獲得はほぼ絶望的になっていました。

「アタック25」の海外旅行クイズは、優勝者の獲得したパネルを開け、その中の映像から出題「ある○○」の答えを導き出す問題です。

問題は日によって変わり、人物、都市、国、山、川、海、湖、岬、島、半島、施設、西暦年、元号、文学作品など様々です。

運の要素も強く、20枚以上の大量枚数での優勝でも不正解のこともあれば、9枚や8枚、7枚の1桁枚数での優勝でも正解ということもあります。

海外旅行の行き先は、1975年の番組開始以来「エールフランスで行くパリ」が番組の代名詞的な賞品でした。

1995年10月からはアメリカの旅に変わり、その後はヨーロッパを経て、2009年からは地中海クルーズの旅となり、しかも通年でペア招待(その前は特別大会のみ)となり、チャンピオン大会ではスイートルーム利用となっています。

私のブロ友(Yahoo!ブログですが)は、「アタック25」の海外旅行クイズを「チャンピオンゲーム」と呼んでいますが、彼が勝手にそう呼んでいるだけです。