この県道は兵庫県佐用町と宍粟市を結んでいます。
毎年、8月にここで盆踊りをしていて、毎年行くのを楽しみにしていましたが、参加者が少なくなったので、数年前にやめてしまいました。

ここは駐在所です。
警察官👮が住んでいます。

田舎らしい風景が広がります。

忠魂碑が立っています。

ノモンハン事件(1939年)、支那事変(1937年)、大東亜戦争(1941~1945年)の戦没者を祀っています。
「太平洋戦争」というのはそもそも連合軍の押しつけで、終戦直後に連合軍が「大東亜戦争」の呼称の使用を禁止したからだったのです。
歴史的には、太平洋戦争は第二次世界大戦の一部とされています。

県道から見た忠魂碑です。

町立南光小学校です。
旧南光町時代は小学校が3校ありましたが、2014年に統廃合があって南光地区の小学校は2校に減りました。

校庭に二宮金次郎の銅像があります。
改築前の旧校舎にあったのを残しています。
私の祖母の現役の頃の仕事が、この南光小学校の前身、徳久小学校の用務員で、しかも学校に住み込みでした。
ですから、お盆や正月に田舎に行くと、学校に泊まっていたのです。
生活用の部屋のほか、当直の先生が寝泊まりする大部屋があって、私の家族は大部屋で寝ていました。
一度、「お婆ちゃんに一緒に寝たい」と頼みこんで、祖母と一緒に寝たのですが、布団を出してもらったら、枕がピンクの女の子柄で、「ちょっと恥ずかしいな~」と思いました。
台所にはプロパンガスが付いていましたが、風呂😃🛀♨は薪で沸かす「五右衛門風呂」でした。
よく、祖母と校内を探険したり、図書室で本を読んだり、校庭のブランコで遊んだり、校庭の池の鯉に餌をやったりしました。
もちろん、そこは「親御さんでも、校内に入るには入門証を提示してください」というお願いとは無縁の世界でした。
私が小学校3年生になる頃、町内の中学校に転勤となり、小学校に住み込みの生活が終わり、引っ越しました。
その中学校では定年まで勤めあげました。

トンネルの向こうは民家の庭になっています。