1954年のきょう7月25日、プロ野球で「難波事件」とも言われる騒動が起こりました。
大阪球場(通称難波球場、現存しない)で行われた阪神タイガースvs中日ドラゴンズのナイトゲームが事件の舞台でした。
試合は2対2の同点で延長戦に突入、10回表に中日が3点を奪い、阪神が2対5とリードされて迎えた10回ウラの阪神の攻撃。
阪神の代打・真田重男選手がカウント2ボール2ストライクからスイングするとファウルチップ、これを中日の捕手・河合保彦選手が体をかぶせるようにして捕球。
杉村正一郎球審は一旦は「ファウル」と宣告、ところが中日が「直接捕球だ」と抗議、一転して「ストライク、三振」のコールをしました。
すぐに怒ってやってきたのが、一塁のコーチスボックスにいた阪神・松木謙治郎監督とベンチにいた阪神の藤村富美男選手(助監督兼任)、金田正泰選手(主将)でした。
藤村選手が杉村球審を2回、3回と小突くと、杉村球審は藤村選手に退場を宣告、続いて松木監督が杉村球審を腰投げ、松木監督も退場を宣告されました。
松木監督は後年、「藤村の連続試合出場記録をストップしたくない。自分が退場になって藤村を守ろう」と思って“キレたふりの”投げだったと明かしていました。
1時間7分の中断の末、阪神側は連盟への提訴を条件に松木監督が退場し、三振として試合再開しました。
しかし、藤村選手には退場宣告が伝わっていませんでした。
阪神の攻撃が続き、2アウト一・三塁で藤村選手に打順が回り、金田選手(松木監督退場後の監督代行)が代打を告げようとすると、藤村選手が打席に入ろうとしました。
すると杉村球審が「お前には退場を命じてある!」と言うが、藤村選手は「聞いとらん!」とまたもめました。
すると杉村球審が「お前には退場を命じてある!」と言うが、藤村選手は「聞いとらん!」とまたもめました。
数百人の観客がグラウンドに乱入、警官約200人に加え機動隊も動員される騒ぎとなりました。
結局、放棄試合が宣告され、0対9で阪神の敗戦が決まりました。
結局、放棄試合が宣告され、0対9で阪神の敗戦が決まりました。
後日、藤村選手には制裁金5万円と20日間の出場停止処分が下され、藤村選手の連続試合出場記録は1014でストップしました。
また、松木監督には制裁金3万円と5日間の出場停止処分、金田選手にも「藤村選手の出場を阻止できなかった」として戒告処分が課されました。
さらに、当時のルールは、表と裏の両方の攻撃が終了してイニング成立となっていたため、10回表に杉山悟選手(中日)が打った本塁打は取り消しになりました。
なお、藤村選手は後年、「球審は、『お前は風呂にでも入っておれ』と言っただけ。退場なんて言われてない。あれじゃ、分からん」と振り返っていました。
この事件はスポーツライターの大和球士によって「難波事件」と命名されました。