姫新線80周年 | 女装男子かなこのブログ

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姫新線が1936年10月10日に「姫津線」から「姫新線」に改称され、今年で80年を迎えるにあたりJR西日本は様々なイベントを行うようです。

姫新線は姫路駅(兵庫県姫路市)と新見駅(岡山県新見市)を結ぶJR西日本の鉄道路線です。

もともと姫路―津山(岡山県津山市)間が「姫津線」(ひめつせん)、津山―新見間が「作備線」(さくびせん)という路線でしたが、これらをまとめて「姫新線」としたのです。

もちろん、昔は蒸気機関車での運行で、C58形、C11形、9600形などが運用されていました。

1950年代半ばから気動車の運行が始まりました。

最初はキハ05、キハ07といった機械式(ギアミッション式、自動車でいうとマニュアル車)の気動車でしたが、連結運転時はそれぞれの車両に運転士が乗車して変速操作をしなければならず、しかも変速のタイミングを合わせるのが難しいのが欠点でした。

そのため、液体式(トルクコンバータ式、自動車でいうとオートマチック車)のキハ10系、キハ20系に置き換えられ、後にキハ23系やキハ30系も投入されました。

1960年には姫新線初の優等列車となる準急「みささ」(大阪―倉吉(当時は上井))準急「みまさか」(大阪―中国勝山)が登場(大阪―津山間では併結運転)、キハ55系が運用されていました。

続いて1964年には臨時急行「やまのゆ」(京都―中国勝山)、1965年には準急「かいけ」(大阪―米子)が登場しました。

1966年には準急は急行となり、1968年の「ヨンサントオ」ダイヤ改正では区間・路線ごとの列車愛称統一の観点から「みささ」「かいけ」は「伯耆」、「みまさか」「やまのゆ」は「みまさか」に統一されました。

これらの急行列車にはキハ58系が運用され、グリーン車や指定席が連結されていました。

1967年4月11日にはお召し列車が運転されました。

C58 315号機が1号御料車編成を牽引、中国勝山―姫路間で運転されました。

私の叔母と亡き祖母も、佐用駅までお召し列車を見に行きました。

1971年には蒸気機関車もDE10形ディーゼル機関車に置き換えられました。

1975年には急行「伯耆」が「みささ」に改称され、7年ぶりに「みささ」が復活しました。

1980年ごろにはキハ40系気動車やオハ50系客車が投入されました。

そのころ、姫新線の利用者は中国自動車道の開通やマイカーの普及、沿線の過疎化で減少していました。

1986年には貨物列車、1989年には急行列車が廃止されました。

1993年には朝夕に運転されていた客車列車が気動車化されました。

さらに播但線や加古川線が電化され、兵庫県西部のJR線で姫新線だけが非電化のまま残されました。

利用者の減少に危機感を感じた兵庫県内の沿線の自治体、姫路市・たつの市・佐用町は一体となって、姫新線の活性化のためのプロジェクトを立ち上げます。

当初は電化による高速化を目指しましたが、費用がかかることから非電化のまま高速化を目指します。

そして登場したのが、姫新線で現在主力となっているキハ122・キハ127系気動車です。

軌道強化もあって最高速度も85km/hから100km/hに引き上げられ、到達時間は10~20分短縮されました。

その後も自治体と住民一体となっての取り組みは続き、昨年度は利用者が300万人を突破しました。

私の親戚の叔母さんが姫新線沿線の佐用町(最寄り駅は播磨徳久)に住んでおり、行くときはいつも姫新線に乗ります。



姫新線命名80周年を記念して様々なイベントがあります。

80周年記念ヘッドマーク列車の運行

沿線の高校の生徒がデザインしたヘッドマーク(全26パターン)を前面・後面両面に掲出した列車が、2016年10月10日~2017年3月31日まで姫路駅~上月駅間で運行されます

80周年記念絵画列車の運行

沿線の小学校の児童に描いていただいた絵画を列車内に掲出し「絵画列車」として、
10月10日~12月11日まで姫路駅~上月駅間で「キハ127系1編成」の車内吊りに掲出して運行されます

姫路鉄道部車両基地の公開

姫路鉄道部での車両基地公開を、本年は「姫新線80周年記念」として、11月26日に開催されます

その他、臨時列車が運行や記念フォーラムが開催されるようです




1967年4月11日、姫新線を走ったお召し列車です。(上月駅付近)


1970年ごろ、姫路駅に停車中のC11形牽引の姫新線普通列車です。
姫新線は関西ではわりと遅くまで蒸気機関車が運転されていました。


現在、姫新線姫路―上月間の主力となっているキハ122・127系気動車です。
手前2両が2両編成を組むキハ127形、後ろ2両が両運転台のキハ122形です。


キハ122・127系が投入される前の主力だったキハ40系(キハ40形)気動車です。


キハ40形「はばタン号」です。
兵庫県で国民体育大会が開催された2006年5月から1年間運転の予定でしたが、姫路―上月間電化促進運動の一環としてその後も運転を継続、電化は実現しなかったもののキハ122・127系が投入された後も運転は続き、最終的に2012年3月まで運転されました。