0系は同年の11月30日に定期列車としての運転を終了したのち、12月に幾度か「さよなら運転」を行いましたが、そのうち12月14日に走った新大阪発博多行きの「ひかり347号」が、最後の営業運転になりました。
これにより0系は1964年10月1日以来、44年間の長期にわたった営業運転を終了しました。
0系が44年間と長期間にわたって走っていたのは、当初から頻繁に編成変えが行われたことに加え、当時の国鉄は特に1970年代以降に新型車両を開発する財政的余裕がなく、0系が22年間と長期間製造されたからです。
0系が「ひかり」「こだま」共通の編成で走っていたのは開業からの2年間だけで、最初の編成変えは1966年、「こだま」編成のグリーン車を2両から1両に減らす、「ひかり」編成と「こだま」の分離でした。
この際、「こだま」編成にはグリーン車が8号車の編成と7号車の編成ができました。
前者が正規の編成、後者がイレギュラーな編成でした。
その後はしばらく「こだま」の正規の編成の増備が続きました。
その後の編成変えは1969年「ひかり」編成の16両化と「こだま」編成の売店付き普通車組み込み、1971年は岡山開業に備えた「こだま」イレギュラー編成解消を兼ねた「ひかり」編成増備、1972年「こだま」編成16両化、1973~1975年は博多開業に備えた「ひかり」編成増備が行われました。
1976年からは早くも開業当初の0系の老朽廃車が始まり、0系が0系を置き換える現象が起こりました。
1985年には利用者の伸び悩みから「こだま」編成が12両に短縮されました。
0系は少しずつ改良を加えながら、1986年までの22年間にわたって製造されました。
1987年のJR発足と前後して、山陽新幹線専用の6両ミニ編成も登場しました。
JR発足後は、JR東海では「こだま」編成が再度16両化、JR西日本では普通車が4列シートの「ウエストひかり」が登場しました。
しかし、後継車両の100系や300系、500系、700系の登場で0系の廃車が更に進み、1999年にはJR東海の0系が全車廃車されました。
最後まで残った0系はJR西日本の6両ミニ「こだま」編成でした。