まだ、21歳。
彼は、車イスだった。
原因はわからない。
長男の高校の入学式に出席する為、パニック障害の私は、広場恐怖(パニック障害の症状)の為、主人に同伴してもらった。
やはり、体育館の席が、出席番号順で、子供の横に親が座るようになっていて、人が詰まってる席は、私は無理なので、主人に子供の横に座ってもらい、私は、一番後ろの通路側(息がしやすそうな場所)に座った。
しばらくして、車イスの新入生が、私の横に案内されて来た。
普通の男の子だった。
入学式が終わり、私は座ったまま、主人が来るのを待っていたら、
校長と教頭と思われる先生が、私と、車イスの子に
「この度は、ご入学おめでとうございます。
後でご案内しますので、お母様と、もうしばらくお待ちください」と言われ、
「あの、私は、この子の保護者ではないんです…」
「あっ、失礼しました。」と先生。
高2の時には、聴力に障害がある男子と同じクラスだった。
息子によると、そのクラスは、運動部の男子が多く、いかつい(怖い)雰囲気だったので、いじめはないけど、クラスに馴染めなくて、聾学校に転校した。
普通科の高校に進学できる位だから、障害もそんなにひどくは無かったのだろう。
グレーゾーンだったのかもしれない。
雰囲気に馴染めないのではなく、私は、彼なりに、普通科の高校で授業を受けるのに、限界を感じていたのではないかと思う。
彼の為に、クラスでお別れ会をして、彼が転校していき、落ち着いた頃に、彼からクラスにお礼の手紙が届いた。
「迷ったけど、聾学校に来て、楽しくやってます。
勉強も頑張ってます。
優しくしてくれて、ありがとう。」と。
彼なりの人生の選択だったのだ。
車イスの子の話に戻るけど、
それから3年後の卒業式。
息子と同じクラスで、クラスメートに車イスを押されて、入場して来た。
その子は、成績は常にトップ3で、担任も、しっかりした先生のクラスだった。
公立の大学に通っていたらしい。
(息子とは、そんなに深く付き合いは無かった)
彼が入学するにあたり、高校側は、車イスでも不自由しないように、エレベーターをつけたり、バリアフリー化をした。
きっと、何事も一生懸命に取り組んだんだね。
まだまだこれから、なのに、悔しかっただろう。
また、親御さんの気持ちを想うと、涙が止まらない。
親族だけで、葬儀を行うのだが、できるだけ沢山の友達に見送って欲しいという、親御さんの希望で、担任や、同級生が参列する。
高校の先生は、亡くなる前にもお見舞いに行き、沢山の先生が参列してたようだ。
「ご挨拶」のハガキを読み、涙が止まらなかった。
彼が精一杯、「生」を全うしたこと、
親の悲しみはあるが、「普通の時間がどれだけ大切か、息子を見て感じたこと、息子への感謝」が綴られていた。
私に、亡くなった彼が教えてくれたこと。
「悔いの無い人生を送ろう」
慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌