私の青春時代 | 雨のち、くもりのち、時々はれ

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もうすぐ還暦^_^
辛かった過去や趣味、お出かけ、日々の感じたこと等を書いてます。

昼間はPOP室で働きながら、夕方電車の中で眠り、頭も気持ちもリセットして、夜間のグラフィック専門学校へ。



学校から、私の年齢、通学時間がかかり過ぎることを言われたが、入学してみると、私と同じ歳の女の子(某有名証券会社の社員)と、同じ歳の男子(私と同じで、苦労してきた匂いがする)、私よりまだ遠い通学時間1時間半の女の子(20歳すぎ)の人達がいて、

「なんや、私だけじゃないやん」


授業では、この当時、アップル社の絵を描くパソコンが出始めで、大都市の専門学校に、数台しかなく、私が通っていた学校には無かったし、まだまだ手描きでイラストやデザインするのが普通の時代だった。

インテリアデザイン科も、CADなど無かった。


私はPOPで慣れていたので、ポスターカラー(慣れてないと、色ムラになる)の使い方や、描く作業も断然速かった。


さすが、芸術系、

先生も生徒も変わった人が多く、夜間なので、年齢も職業も様々で、人より落ち着いて見える私は、皆から「お母さん」と呼ばれ、19~21時まで授業で、宿題も沢山出て、徹夜する事もしょっちゅうだった。

週末には、気の合う仲間と呑んだり食べたりで、恋愛経験ないのに、若い男の子から恋愛相談されたりガーン


私と同じ歳の男子は、詳しく聞いた事はないけど、苦労してきたみたいで「お父さん」と呼ばれてた。


デッサンの授業で、先生から私達の絵を見て「この二人は似ている」と言われた。


もう一人の、私と同じ歳の女の子は、テキスタイルデザイン(生地のデザイン)がしたくて入学したそうで、スタイルバツグン、美人で有名証券会社務めで、よく、オカマバーに通っていた。

オカマバーが出始めの頃。


私のデザインや、色合わせをある女の先生が気に入ってくれ、その先生は自分の洋服のブランドを立ち上げ、仕事しておられた。

その先生から、「うちで働かない?」とお声を掛けてもらったのだけど、その時は、洋服のデザインや洋裁より、グラフィックデザイン(イラスト)をやりたかったので、お断りさせて頂いた。


もし、先生の仕事を手伝っていたら、又人生も全く違ったものになっていただろうね。

人生って、面白い目


も~~~ぅ、仕事も、学校も、夜の友達付き合いも、楽しくて楽しくて、休みは、美術館巡りや、学校の友達と出掛けたりと、

これぞ、青春


25歳にして、我が青春を謳歌音譜音譜音譜



4月に入学して、10月に、担任から「26歳位でデザインできる人を紹介してほしいという会社があるけど、どうする?」

と、聞かれ、

「ぜひ、面接受けたいです!!ラブラブ!

と、即答。


25歳、片目弱視では就職ないと言われてたのに、まだ1年生なのに、チャンスがくるとは叫び



POP室の皆さんも、喜んでくれた^_^


ところが、面接した後、なかなか返事がもらえなくて、POP室のスーパーでは私の退職手続きが進んでいて、

「どうしょう~汗汗

そしたら、乳がんで亡くなった子が、
「ほんまに、そこに就職したいなら、自分から電話して、アピールしたらいいやん。」

と、言ってくれ、

「いつまで経っても、面接の結果の返事がないし、今の仕事は辞める方向で話が進んでいるので困ります。」と電話したら、


「そしたら、来て下さい。」とやっと返事がもらえた。


カレンダーやポスター、テレフォンカード(今はレアになってしまったが)のデザインをする、立ち上げたばかりの、小さな会社だった。


でも、自分のデザインが印刷物になることに、夢いっぱいだったドキドキドキドキドキドキ




つづく





今回も読んで下さり、ありがとうございますとかげ


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