学校から、私の年齢、通学時間がかかり過ぎることを言われたが、入学してみると、私と同じ歳の女の子(某有名証券会社の社員)と、同じ歳の男子(私と同じで、苦労してきた匂いがする)、私よりまだ遠い通学時間1時間半の女の子(20歳すぎ)の人達がいて、
「なんや、私だけじゃないやん」
授業では、この当時、アップル社の絵を描くパソコンが出始めで、大都市の専門学校に、数台しかなく、私が通っていた学校には無かったし、まだまだ手描きでイラストやデザインするのが普通の時代だった。
インテリアデザイン科も、CADなど無かった。
私はPOPで慣れていたので、ポスターカラー(慣れてないと、色ムラになる)の使い方や、描く作業も断然速かった。
さすが、芸術系、
先生も生徒も変わった人が多く、夜間なので、年齢も職業も様々で、人より落ち着いて見える私は、皆から「お母さん」と呼ばれ、19~21時まで授業で、宿題も沢山出て、徹夜する事もしょっちゅうだった。
週末には、気の合う仲間と呑んだり食べたりで、恋愛経験ないのに、若い男の子から恋愛相談されたり

私と同じ歳の男子は、詳しく聞いた事はないけど、苦労してきたみたいで「お父さん」と呼ばれてた。
デッサンの授業で、先生から私達の絵を見て「この二人は似ている」と言われた。
もう一人の、私と同じ歳の女の子は、テキスタイルデザイン(生地のデザイン)がしたくて入学したそうで、スタイルバツグン、美人で有名証券会社務めで、よく、オカマバーに通っていた。
オカマバーが出始めの頃。
私のデザインや、色合わせをある女の先生が気に入ってくれ、その先生は自分の洋服のブランドを立ち上げ、仕事しておられた。
その先生から、「うちで働かない?」とお声を掛けてもらったのだけど、その時は、洋服のデザインや洋裁より、グラフィックデザイン(イラスト)をやりたかったので、お断りさせて頂いた。
もし、先生の仕事を手伝っていたら、又人生も全く違ったものになっていただろうね。
人生って、面白い

も~~~ぅ、仕事も、学校も、夜の友達付き合いも、楽しくて楽しくて、休みは、美術館巡りや、学校の友達と出掛けたりと、
これぞ、青春
25歳にして、我が青春を謳歌





4月に入学して、10月に、担任から「26歳位でデザインできる人を紹介してほしいという会社があるけど、どうする?」
と、聞かれ、
「ぜひ、面接受けたいです
」


と、即答。
25歳、片目弱視では就職ないと言われてたのに、まだ1年生なのに、チャンスがくるとは

POP室の皆さんも、喜んでくれた^_^
ところが、面接した後、なかなか返事がもらえなくて、POP室のスーパーでは私の退職手続きが進んでいて、
「どうしょう~
」


そしたら、乳がんで亡くなった子が、
「ほんまに、そこに就職したいなら、自分から電話して、アピールしたらいいやん。」
と、言ってくれ、
「いつまで経っても、面接の結果の返事がないし、今の仕事は辞める方向で話が進んでいるので困ります。」と電話したら、
「そしたら、来て下さい。」とやっと返事がもらえた。
カレンダーやポスター、テレフォンカード(今はレアになってしまったが)のデザインをする、立ち上げたばかりの、小さな会社だった。
でも、自分のデザインが印刷物になることに、夢いっぱいだった





つづく
今回も読んで下さり、ありがとうございます
