POPの仕事は、衣料品、食品、家庭用品と各部門に分かれて3人の先輩がいて、皆良い人ばかりで、私は忙しい部門のお手伝いという立場で入った。
特に、衣料品のPOPを描く人が、センスが良くて、私も衣料品のPOPやりたいなぁと思っていた。
一番芸術的センスを求められる。
あの頃流行ってたファッションのテーマが、アースカラー、サンタフェ、えっと…思い出せないわ

お客様にイメージが伝わるように描くんだけど、も~~、楽しくて楽しくて

、家の仕事が苦痛で苦痛で








衣料品専属になりたかったが、すでに先輩がやってるので無理だよね~

が、しかし、
衣料品専属の人、ある問題を起こし、クビになった

その後釜は、もちろん、私

それを理由に、バイトも夕方まで伸ばし、やはり父には文句言われたが、店の仕事に、理容の通信教育をやっていた。
月日が経てば経つほど、私は、やはり絵が描きたい

自分のやりたい事はこれだ

もう、自分を押さえ切れなかった。
父について仕事するのは、もう限界だった。
そして、理容学校通信制の卒業式を 無事迎え、学業優秀で、なんと、表彰された

実技は、皆店でやってるから、通信の場合、評価されるのは学業の成績。
私、実技が全く身に付いてないのに、笑うね

皆んなに申し訳ないわ



卒業したら、国家試験を受ける。
学科をまず受験して、合格したら、後日、自分で探したモデルを連れて実技試験(制限時間内にカット、髭剃り)
私は学科(国家試験)に合格した段階で、実技を受ける気は、最初から全くなかった。
どうせ落ちるし。
と、いうか、無理でしょ、なんも実技が身に付いてないもん。
【学科、実技試験の両方合格したら、理容師の資格が与えられる】
ので、ここでも、私は中途半端な奴と、父に怒鳴られる。
もう、学科が合格した段階で、まず母に、「店の仕事は辞めて、POPの仕事をやりたい」と言った。
母も、私が好きな事するようになってから、私の表情が明るくなったのを解ってたようで、店も暇に段々なるから、自分のしたいようにしたらいいと言った。
父には、もう親子の縁切られても、どつかれても、私のしたい事をやり通す

と、覚悟を決めてから、話した。
案の定、すごい剣幕で怒鳴られ、どつかれそうになったが、私は、父の目を見据え、たじろがなかった。
私の覚悟が解ったのか、諦めたのか、まぁショックには違いないが、
「もう、勝手にせえーー
どうせ、また長続きせんと、辞めるんやろ
」


辞める理由なんか考えもせず、父の中で、コロコロ仕事変わって、辛抱が足りへん奴やというレッテルが私に貼られた。
もう、私は、そんなこと、どうでもいいねん

これで晴れて堂々と自分の好きな仕事ができる





もう毎日が楽しくて楽しくて、全紙(画用紙の一番でかいサイズ)に、「この布のプリントと同じ絵を描いて」「こんなイメージにしたいけど、何か作って」と仕事を頼まれ、出来上がったものを、すごい評価してくれて、初めて自分を認めてもらった。
久々に会う人からは、「なんか明るくなったね、恋してるの?顔がツヤツヤですごくきれいになったね」と言われた。
恋してなくても、人は、やり甲斐を見つけると、輝くのか

初めて知ったわ

やっと、24歳位で春が訪れた

つづく
なかなか書く気にならなくて、更新が遅れてすみません

それでも読んでいただいている方、ありがとうございます

