男性恐怖症と人間不信だけが残った。
社会に出るのが怖くなった私は、「家業の散髪屋を継ぐ」という選択をした。
父からは、「辞めるなら最初からするな」という念押しで、理容専門学校の通信をしながら、外の店で働かず、家の店で働くことにした。
だって、外に出るのが怖いから。
そもそもそれが間違いだった。
給料は、店が繁盛してない事もあり、1日千円。
それでも家に居たかったので、不満は無かった。
家が貧乏でお金がないと、言い聞かされて育ったので、小学校からお小遣い帳をつけ、貯金してきた。
理容専門学校も、私の貯金から出した。
オシャレには興味ないので、1日千円の日当でも平気だった。
その中から貯金していた。
通信制の理容専門学校は、昼間の生徒が夏休みの時に、2週間通学し、学科と実技とテストを受ける。
自宅で教科書を読んで、テストを出し、採点されて返ってくる。
学科は成績優秀だったのだが、問題は実技だ。
父は昔、自分が修行してきたように、「見て覚えろ」で、シャンプーや、女性の顔剃りは教えてくれて出来るのだが、カットが全く解らない。
理容組合の講習で、見習いの人ばかりで、ウイッグを使い、カットの講習が3回位あったのだが、どこをどれだけ、どう切っていいか解らず、初めて『おちこぼれ』の気持ちが解った。
それよりもっと嫌だったのが、お客さんと喫茶店に行かされたり、散髪終わって話す人もいるのだが、いつもは話好きな父が応対するのに、さっさと家の中に入り、私に応対させたり、自分が嫌な客は私が接客。
はぁぁあ~~、男性恐怖症なのに、社会に出たくないが為に、家手伝ったの、失敗した

今頃気付く……
どう考えても、理容業なんか、男性相手やんか

アホちゃうか
わたし






おまけに父とは合わない、父が不機嫌(私が仕事や練習しなかったら)。
やり方解らないのに、どうやって、何を練習するの

家を継ぐことにも、長女として、段々重圧がのしかかり、母が作った料理が食べれなくなり、今度は痩せた……
お客さんや、知り合いがお見合いの話を持って来ることもあり、それも嫌だった。
こんな私を好きになる人なんていない、
例え結婚できたとしても、私自身が自分を確立してないというか、だめな自分、
きっと離婚するに違いないと思って、すべて断ってもらった。
毎日毎日、親への不満、本当に自分の人生これでいいのか、本当にやりたい事は何なのか

でも親には育ててもらった恩があるし…
家なので逃げ場が無い、辛い、毎日悶々としていた。
がんじがらめの毎日、針のむしろ。
ある日、近くのスーパーで、『POPさん募集、初心者OK」の求人の貼り紙を見て、絵を描くのが好きだった私は、
これだ!!
と直感した!!
POPさんとは、スーパーの品名と値段等を描く仕事。
散髪屋の店のPOP描く為に、よくある、雑誌に載ってる、通信でPOPをやっていたのだ。
(これも私の貯金で)
現在は、パソコンでやるのだが、当時は全て手書きだった。
速攻、両親に、「今のお金では足りないから、午前中だけバイトさせて欲しい」と言うと、母は、私に給料もろくに渡せず可哀想と思っていたのか、すんなり了承してくれたのだが、案の定、父は猛反対



父は、たぶん私の企み?心の中を見抜いていたと思う。
「ほんまに午前中だけか
いつか、散髪辞めて、そっち行くんと違うんか
」


私もそうなるだろうなと、何となく感じてたが、「お金が欲しいから。午前中だけやし」と、説得した。
ついに、私の転機が訪れる。
つづく
今回も読んで下さりありがとうございます

ほっこりする記事も書けず、最後に和らいでもらえたら…と、花の写真を届けます

