予習復習、宿題の多さで身体中じんましんが出た。
ストレスだな。
高校側は、良い歴史?メンツ?ランクを上げる為、あらゆる高校から良い教師を集め、規律も勉強も厳しく、毎週ある髪の長さ、制服チェックがあり、髪を教師に切られ泣く女子も多数。
今なら大変な問題になるね。
成績別のクラス編成で、勉強ばかりの合宿、修学旅行も、信州の山登り(死ぬ程しんどかった)。
修学旅行のおやつなし。
その結果、食欲旺盛な若者集団(私達)は、旅館での食事しかなかったから、皆おかわりし、ご飯が足りなくなり、近所の旅館からもらうという結末も…

いじめはなくなり、優しい友人もいて、英語の先生(既婚)に恋をし、注目して欲しいから、英語の勉強を頑張り、ランクを下げた高校だったから、成績はいつもトップクラスで、真面目な生徒だった。
困ってる人の力になりたくて、ボランティア活動にも力を入れた。
障害者の方のお出掛けの付き添いや、トイレ介助、小児麻痺の方のお家に行き、話し相手になったり。
高2で進路を決める時、理学療法士か、ファッションデザイナーになりたかったが、理数系が苦手なのと、学費が工面できないと両親に言われて、理学療法士は断念…
とにかく両親は、安定した職を望み、公務員試験を受けるため、文理クラスに入った。(高3)
この頃の私は、両親に今迄育ててもらった恩を感じ、感謝もあり、両親の願いを叶えたかった。
結果、公務員試験など、自力で合格する訳もなく、クラス皆、大学目指し、私は貧乏なので大学行けない、行く気もない、学ぶ内容の大学もない、就職クラスではないので、学校側は就職世話してくれない。
私が成績が中途半端に良かった為、学校のメンツで、大学受験を進め、「大学にいる間に、やりたいことを探せばいい」との一点張りで、三者面談で、私も母も学校側に対して怒りしかなく、それ以来、私のやる気は失せ、成績下がり、無断欠席。
「母は自分で学校に休む連絡をしろ」と言ってしてくれず、もう、なげやりな私は無断欠席。
しかし、普段真面目で通っていた私は、学校側が無断欠席してる事すら気づいておらず、たまに休む程度だったので問題なし。
私の片目が弱視だから、障害者手帳を申請して障害者と認定されれば、保険会社の事務として、働く枠があると、担任に言われた。
が、将来障害者としては、困ることも出てくるのでは?と、部外者に両親が相談して話を断った。
私は自分の顔の事があり、一生結婚できないと思っていたので、手に職を付けようと両親を説得して洋裁の専門学校に行くことにし、入学金も払った。
その後、学校からボランティアでいった老人ホームから、最初は事務員で勉強しながら、社会福祉士の資格を取らせてくれるが、どうする?と先生に声を掛けてもらい、学費で親に苦労をかけたくなかったのと、福祉の仕事に就きたいという希望もあったので、老人ホームに就職することにした。
又、これが、次なる地獄の始まりとは知らずに…





とにかく、こんな高校にくるんじゃなかった

今思えば、奨学金制度や、夜学など、調べれば、諦めなくても違う進路が開けていたんではないかと思う。
今のようなネット社会だったら、自分で調べるのも簡単だけど、昔は、本か、学校に聞くか、学校に聞いても的を得ない。
でも、これ、私の子育てにはとても役立っている。
高校を決めるにあたり、その先を見越して高校を選ぶという事。
あ、つい先日、実家のデリカシーのかけらも、気遣いもない父が、「何か資格取る為に学校行っとけば良かったな」
いや、今、フツーーーに言ったで

母と私、
はあっ?!
私「お金ないから学校諦めたんやんか」
母「ほんまや!よう言うわ!
でも、お金なかったから、学校にも行かせる事が出来なくて、申し訳なく思ってる。」
と、初めて母の本音を聞いた。
妹は、高校卒業して、准看の学校に行き、高等看護学校に行ったのだが、私が働くようになって、妹の学費を出し、妹が看護師として働くようになってから、お金を少しずつ返してもらった。
その話をすると、母は全く覚えてなかった。
そんなもんなんかな

つづく
長~い間、更新できず、すみません。
今日も読んで下さり、ありがとうございます
