他の地区からは引っ越してくる子だけ。
制服もあり、大人の仲間入りみたいな感じで、勉強も難しくなるので、不安だらけだった。
この頃には、自分の心を開けば、相手も心を開き、受け入れてくれる友人や、親友もできた。
私の火傷の事や、イジメの事を友達に話したら、相手も人には言えない事を話してくれた。
友人を作る術を身につけた。
中1の時、野外活動で、気の合う仲間と班を作るのだが、私と、親友と、数人では人数に満たず、一人ぼっちの人が数名いて、その子達を誘い、班になった。
野外活動、滅茶苦茶楽しかったね

その時の友達、私入れて5人は、今でも集まり、子供、家族、病気の事など、包み隠さず話せる仲だ。
だから、私の今までの人生すべて知ってる。
35年もの付き合いになるんだね、ビックリ

中学生になってから、「今まで一人で辛い思いをしたから、人には絶対そんな思いはさせない

辛い思いを知ってる自分だから、人を色眼鏡で見ない、優しくしよう」
と、気持ちが変化した。
辛さを乗り越えると、自分が強く、優しくなると思う。
そんな私の行動を回りが見ていて、クラス委員長にまで推薦されるまでになった。
結果は、私は票足らずでならなかったが…
イジメは、何故か、引っ越してきた、変わった男子(喋り方や、急に叫んだり、でも数学は良く出来た)が、「うわーお化けだー!!」と、大声で叫び、クラスは違うのに、体育館の行事でイスに座ると、必ずその子の隣りで、「お化けだー!」と、叫ばれる。
回りの人は、見て見ぬフリ。
私、必死で泣きそうになりながら、耐え抜いた。
その男子、私を罵倒するだけで、暴力はなかったけど、その子自身も、男子の集団から、廊下で服脱がされ、元々かん高い声なんだけど、「きゃー!やめてーー!!」と、やられてた。
可哀想と思いながらも、「私をいじめる罰だ」と、悪い私がいた。
すぐに何処かへ引っ越して行ったが…
今思うと、もしかしたら、ADHDだったのかな…
その子も、生きにくい人生だったろうな。
段々と、「人の為に」と思える様になり、成績も底辺から40番も上がった。
(自分なりの勉強のやり方や、成績のいい子の、勉強のやり方を真似た)
少しずつ、自分を見つめる作業を自然としてた。
それは、当時、学生向けの、月刊小説があり、ペンフレンド募集で、色んな人と文通して、自分の辛かった事とかを手紙に書いて、やり取りしてたからかも。
今の様に、ネットのない時代で、手紙や交換日記が中心だったから。
ノートに、何でもいいから、自分の心の内をぶちまけたり、日記を書いたり、の、作業は、自分を見つめる作業になるから、心の整理もできると思う。
時間はかかるけど。
長くなったけど、中1の時、母方の祖母が胃がんになり、田舎の病院に母の兄弟が交代で泊まりで看病した時期があり、母不在中は、長女の私が、炊事、洗濯、店の後片付け、学校の弁当作り、母のバイトの朝刊配達をしていた。
夜になると、必ず父は何処かへ行き、朝帰り。
母が病院から帰ると「お父さん、ずっとおらへんかった。」と、何も知らない私は不安から母に報告。
夜中、ずっと夫婦喧嘩。
最近になって、父が私の横にいる主人に、酔ってる時話した。
スナックのママと浮気していて、「あんなもん、ちょろいわ。すぐ寄ってくる。」
それを聞いた私「はあっ
お母さんは、自分の母親が、ガンでいつ死ぬかわからんのに、よう、浮気できたな
」



父「うん…寂しかったんかな…。お母さんが、泣きながら自分の所に戻ってきてくれって言って、反省した」やって

信じ難い、大人になってからの事実。
夫婦間で、許せることと許せないこと、それぞれ違うと思う。
夫婦にしか解らないこと。
つづく
更新がなかなかできない中、読んで下さり、ありがとうございます
