完全看護で、面会は週3回位で数時間、仕事の合間に母が来てくれた。
入院は、親から離れるので淋しくて、夜布団の中でこっそり泣くこともあったけど、入院する時は、おもちゃ(3個まで)や、パジャマ、下着など、新しいものを買ってもらえたり、入院中は、病院でいじめられることがなかったので、楽しみでもあった。
同室の子と遊んだりして。
1,手術の内容は、頬の火傷を、頬を谷折りの様に縫い合わせる事で、火傷の範囲を減らす。
2,耳の後ろの皮膚を、鼻の火傷部分に移植する。
(いつもの担当医ではなく、若い医師にやらせた為、鼻の横は不自然な仕上がりになってしまった)
3,デコルテの皮膚をおでこの火傷部分に移植
手術前に砂糖水を飲むのが、嫌だった。
抜糸が痛くて怖くて嫌だった。
麻酔が覚めると、強烈な吐き気に襲われた。
手術前と、手術後に、両親と別れるのが辛かった。
又、頬の手術をした時は、トイレの鏡で自分の顔を見て、「お、おばけ…?!」と、ショックだった。
ブラックジャックの様な、上から下までの縫い目、口は縫った方向につり上がり、鼻も、引っ張られて歪んでいる。
それ以来、鏡を見れなくなった。
大人になって、化粧するまで。
学校にはマスクして行ったが、「外してみせろ!」といじめられるが、絶対はずさなかった。
病院の先生からは、自然に皮膚が伸びて、口も鼻も元に戻ると言われた。
今はきちんと戻ってる。
いや、鼻は少し歪んでるかな?
解らない程度に。
又、耳の後ろの皮膚を移植した時は、血の粉が枕にいっぱい落ちて、気持ち悪かった。
3年連続で手術したが、先生から「これから成長期に入るので、手術できないから、大人になって気になるなら、整形手術して下さい。」と言われた。
子供だったので、「ふーん」位にしか感じなかった。
今みたいに乳児医療の補助もなかったからお金もかかったんだろうな。
毎回退院の後、病院の近所の大きな公園で、母手作りのお弁当を家族で食べた。
両親の精一杯の、私の頑張り(入院、手術の)への、ご褒美だったのではないかと思う。
つづく
読んで下さり、ありがとうございます。
書くのに、辛い峠は少し越えた気がします。