私が産まれるまで、母は何度か流産し、やっと無事産まれたのが、私だ。
3姉妹の長女になる。
私が生後3ヶ月の頃、居間の掘りコタツに寝かせて、両親は仕事していた。
当時は店が忙しく、住み込みの弟子もいた。
あまりにも泣くので、店から居間へ見に行くと、掘りコタツに落ちて大火傷の私がいた。
顔半分と、片手の指。
生死を彷徨う大火傷。
父方の祖父(母の舅)は、「女の子やのに、顔がこんなで、死んだ方がましや!」と言った。
(最近、父からこの話を聞いた)
両親の過失で、そうなったわけだが、今だから想像できる、母の想い。
ちょうど、視力が発達する時期に、火傷の治療の為、目を隠されていた為、片目は弱視になった。
光と、大きな面積の色しか解らない。
(普通は、治療の時は目の所は開けておくらしい。弱視の原因も、高校生の時、一人で行った眼科の先生から聞いた)
不幸中の幸い?に、もの心ついた時から片目しか見えないので、両目が見えるって、どんな感じなのか解らない。
両目見えていて、途中から片目になったなら、不便だろうが、体育の授業でボールの遠近感が解らない、3D画像が見れない、目が疲れ易い、光が眩しい位かな。
ただ、どうしても斜視になるので、会話する時、「どこ見てるん?」とか、私は相手を見てるのに、相手は違う人を見てると思われて戸惑うことがある。
これから、暗く長い長い地獄の様なトンネルに入って行くのだ。
つづく
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