東京の水瓶、奥多摩湖。その自然豊かな湖畔にかつて湖を横断するロープウェイがありました。

その名も小河内観光開発川野ロープウェイ。一般には奥多摩湖ロープウェイとして知られる幻のロープウェイです。

ロープウェイの路線図 Googleマップの地図を加工

このロープウェイが開通したのは今から約60年前の1962年1月。奥多摩湖上遊覧、登山客の利便性向上を目的として開通しました(当時は湖を横断する橋がなく反対側へ行くにはぐるっと一周する必要があった)。

このころは丁度高度経済成長期で、関東方面からたくさんの観光客がやってきてこのロープウェイを利用しました。

開業から数年後に湖上を横断する橋(上の地図にある深山橋など)が開通すると車やバスで簡単に渡れるようになり、ロープウェイの利用者が激減してしまいました。

理由は明確で、ただ単に湖を横断するだけのロープウェイなので景色の変化に乏しく、距離も600mほど、高低差に至ってはたった60cmしかなくそれほど魅力がないことからだと思われます。

さらに運賃は現在の価値に換算すると約1200円、1200円払ってこんな景色がずっと一緒で水平なロープウェイに乗るくらいならみんな車で移動しますよね。

そんなこんなで遂に1966年12月に「冬季休業」という名目で営業を停止、冬が明けても一向に再開せず営業不振を理由に1975年3月に正式に休止になりました。9年も放置してこの間何してたんですかね()

ちなみにみなさんご存じの通りここから再開することなく今日に至るわけですが2006年までは電気車研究会という組織が出している鉄道要覧という本に掲載されていましたが、翌年の2007年版からは抹消されています。

 

前置きがすごく長くなりましたが、ここからが本題です。

Googleストリートビューより引用

三頭山口駅にアクセスするには奥多摩周遊道路の川野駐車場付近にあるこの階段を上がる必要があります。手前の階段を上がった後にさらに同じような階段があるのですが、このあたりから道が埋もれ始めその階段を上がりきったところから完全に道が消滅してただの斜面になっていて、地面にガラス片が飛び散っているのでうっかり手をつくとケガをします。十分注意してください。

階段を上がれば駅舎が見えてくるのでそれを目印に頑張って上がれば駅にたどり着きます。

これが三頭山口駅です。営業停止から60年近く放置され壁は黒ずみ入り口のドアは消滅、辛うじて蛍光灯の台座が残ります。駅名評もきっとあったんでしょう。

駅舎内部です。破壊しつくされ壁の骨組みがむき出しになり無残な状態です。見に来るのはいいですが破壊するのは本当にやめてほしいです。

窓口。かつては右側は窓になっていて、左側が切符を売る場所だったようです。

こんな状態になったのはここ数年のようです。以前は壊れた時計(駅の備品)やレトロな空き缶が置いてあったりしたみたいですが持ち去られたのか確認できませんでした。駅ノートも置かれていますがここにも落書きが。

壁にかかっているプレートです。三線交走式を採用する普通索道で距離は621.45m、高低差は0.65m、定員は36人(おそらく2台の搬器の合算)、運転速度は3.0m/s、竣工(完成)は1961年10月、日本ケーブル社製となっています。日本ケーブルは国内シェアNo.1の会社で、近年ではみなとみらいのYOKOHAMA AIR CABINなども手掛けています。

改札口です(撮り忘れたのでホーム側からの写真)。真ん中に係員が立って検札をしていたようです。

この階段を下りるとホームにつながります。

いよいよ搬器「みとう」号とご対面!

パノラミックウインドウに白と朱色の美しい塗り分け。いかにも60年代というレトロな雰囲気を醸し出します。

最近の先進的なかっこいいデザインと異なりどこか愛くるしさも感じるデザイン。個人的にこちらのほうが好感が持てます。

放置されている割にかなりきれいですが、実は2022年ごろに激しい落書きの被害に遭い赤と白に塗りつぶされてしまいました(そのごさらに白一色に塗りつぶされる)。

今年に入りこのようにオリジナルに近い塗装に塗りなおされました。愛称の表記フォントも再現されています。

駅名標も同様に塗りつぶされてしまいましたが、このように手書きの書体で復元されています。

搬器上部。60年経ってもケーブルが切れるどころか沈まないのはさすがの耐久性です。

ホームから対岸を望む。木が生い茂って良く見えませんが、当時は周りに木がなく景色がよく見えたようです。

茶色の柱はロープウェイの支柱、サビだらけですがしっかりと立っていて存在感があります。

他の方もよく撮影している定番の?構図。目を閉じるとぞろぞろと搬器に乗り込む人々の姿が見えて来そうです。

落書きがなければ完璧なんだけどなぁ...

車内に入ってみました。窓ガラスはすべてなくなっています。

車内中央にポール、天井に照明とスピーカーが2つずつありました。銘版等は確認できませんでした。

体重50kgの僕が乗ってもきしみ音がするだけで大丈夫でしたが乗らないほうがいいです。最悪落ちても窓から脱出できそうですが。

小河内観光開発の社紋。今はコーポレートマークばかりですが昔はよく車体に社紋が貼ってありました。

お気に入りの一枚。O.K.Kの切り文字

これは社名の頭文字(Ogouchi Kanko Kaihatsu)を取ったものだと思われます。1950~1960年代に流行った表記です。

ホーム全景です。木が鬱蒼としており、空気がひんやりとしています。

こう見るとロープウェイの駅ってこじんまりとしていますね。それにしても木がすごいです。

奥にある機械室です。主要機器や運転室は対岸の川野駅にあるのでそれほど機器はありません。

フラッシュをたいているので明るく見えますが実際は真っ暗で左上の壁がないところから光が入ってくるくらいです。

これはスイッチ盤でしょうか、サビて脱落してしまっています。

機器室は暗くて不気味な雰囲気でした。

窓口内部です。奥の部屋は先ほどの機器室、左の部屋は切符を売っていた場所だと思われます。

相変わらず落書きが酷いです。

窓口内部から。

当時はここに切符を買い求める人が列を作ったであろう場所。誰が置いたのか、天然水の段ボールが。

右の部屋はトイレ、小便器が4つに個室が二つありもちろん和式。男女の区別がなく共用なところに時代を感じる。

左の部屋はおそらく詰所または物置だったと思われます。詰所だったらここで職員が談笑していたのだろうか。

一通りの探索を終え駐車場へ戻ってきました。

駐車場には先ほどからちらっと写っている巨大な支柱があり存在感を示しています。

奥多摩湖周辺にはツーリングをしているバイクや、ここにはいなかったがトイレ休憩で立ち寄った駐車場にスポーツカーがたくさん駐車していて見ごたえがありました。

「お邪魔しました。」そう口にしてこの地を後にした。

運行を停止してから58年。もう二度と動くことはないであろう2台のゴンドラは、湖を見守りながら静かに朽ちていくだろう。

 

(本当は対岸の川野駅も探索したかったが、管理されたスポーツ広場の敷地に隣接しており、駅へ通ずる道が封鎖されているため断念)

 

撮影:2024.05