西洋支配600年の終焉を迎える世界:グローバル・サウスの台頭を西側諸国の没落とトレイドオフにしないために協調が必要だ
http://suinikki.blog.jp/archives/88528901.html
世界の構造は大きく変化しつつある。
ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのBRICSの枠組みが拡大し、非西側諸国、西側ではない国々(the Rest)の力が増している。
戦後世界では、冷戦下の東西対決(アメリカ主導の西側・第一世界対ソヴィエト連邦主導の東側・第二世界)に与しない第三世界の団結といった動きや、南北問題の緩和に向けた動きというものがあった。
しかし、非同盟運動などは、あまり効果を発揮することはなかった。
これらの問題提起は重要であったが、何よりも、世界の舞台での発言権があまりにも小さかった。
また、第二次世界大戦後の世界で、多くの植民地が西洋諸国の植民地から独立を果たしたが、経済的な搾取構造は変わらなかった。
モノカルチャー経済(monoculture economy)と呼ばれる、主要な農産物1種類の輸出に頼る経済で、西側諸国の搾取から逃れることはできなかった。
アメリカでは、「近代化論(modernization theory)」と呼ばれる学説が主流となり、「西洋諸国の発展段階を踏んでいけば、新たに独立した国々も豊かになれる」ということになった。
その最高の例が日本とされた。
この近代化論は、マルクス主義に対抗するために生み出された面もある。
しかし、それは欺瞞に過ぎなかった。
マルクス主義経済学でも給食道の国々は豊かになれなかった。
世界の経済格差は拡大するばかりだった。
しかし、最近になって、BRICSを核とし、重層的な非西洋諸国のネットワークにおいて、大きな経済発展が各国で起きている。
その中心は日本を除く、東アジア・東南アジア地域であり、アフリカ地域、南米地域でも同様のことが起きている。
相対的に、西側諸国の力を低下し、格差は縮小しつつある。
現在、そうした状況は、グローバル・サウスの台頭という言葉として表現されている。
グローバル・サウスの台頭の影響を、グローバル・ノースは対立ではなく、協調・協力で良い方向に進めていくべきだ。
そのためには、現在の対立構造を乗り越える必要があるのかもしれない。
私は、これまで「西側諸国対西側以外の国々」という二項対立で世界情勢を見てきた。
短期的にはこの見方で間違っていないと思う。
しかし、中期的(20年から30年)、長期的(30年以上)でどうなるかということも考えるようになった。
「覇権(hegemony)」という考え方、世界を支配する、管理する超大国が力を持つと考え方がどうなるのか、について考えていきたい。
結論は出ていないし、私に結論が出せるのだろうかということも考えるが、「次の覇権国は中国である」ということまでは間違わないだろうが、それから先の世界はどうなるのだろうか、ということを考える。
一極、二極、多極、無極という主張がこれまで出ているが、そもそも「覇権」という考え方自体が西洋中心的であり、それを乗り越えるものが出てくるのではないかと考えている。
(貼り付けはじめ)
グローバル・サウスを恐れているのは誰か?(Who’s Afraid of the Global South?)
-50年前の2つの国連決議(50-year-old U.N. resolutions)を見直すことは、経済的な世界秩序の変化に対する懸念を払拭するのに役立つはずだ。
マイケル・ギャラン、アウデ・ダーナル筆 2024年4月14日 『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2024/04/14/global-south-united-nations-new-international-economic-order/
1974年5月1日、第6回国連特別総会の臨時委員会で、新しい国際経済秩序の確立に関する宣言案が採択された
グローバル・サウス(global south)は台頭している。
中国が、世界最大の経済大国、120カ国以上の句にとっての最大の貿易相手国、そして単一国家として最大の開発金融国として台頭している。
BRICS+ブロック(BRICS+ bloc)の形成とその後の拡大。
そして、この地域におけるアメリカの影響力に対抗しようとするラテンアメリカの「ピンク潮流(pink tide、訳者註:ラテンアメリカ各国の左翼的な政治動向)」の復活だ。
数十年にわたるアメリカの支配を経て、たとえその正確な輪郭がまだ定義されていないとしても、新たな多極世界秩序(multipolar world order)が出現しつつある。
ワシントンでは、西側の優越的なパワーに対するこの挑戦は、困惑と対立をもって受け止められてきた。
グローバル・サウスを理解しようとするよりも、その存在そのものを疑問視する人々もいる。
確かに、グローバル・サウスは一枚岩ではない。
南の団結を支持する人々は、自分たちの運動が文化的、政治的、経済的に大きな多様性を持ち、矛盾さえ含んでいることを長い間認識してきた。
しかし、明確な一致点もあり、首尾一貫した一連の不満や要求もあるが、それが聞き入れられないことがあまりにも多い。
50年前、当時第三世界と呼ばれていた国々は、世界経済を変革するための急進的な計画、すなわち新国際経済秩序(new international economic order、NIEO)を打ち出した。
この提案を理解することは、今日の地政学的な潮流を解明し、そこにチャンスを見出すことにつながる。
左の写真。1955年4月にインドネシアで開催されたバンドン会議に出席するインドのジャワハルラール・ネルー首相
右の写真。1955年4月のバンドン会議での休憩中に会談するエジプトのガマル・アブデル・ナセル首相(右)とイエメンのハッサン・イブン・ヤヒヤ首相
第二次世界大戦後の数十年間、植民地支配から、何十もの新しい国々が誕生した。
しかし、独立後に期待された繁栄は訪れなかった。
政治的主権が自動的に経済的主権につながるのではないと、新たに独立した国々の指導者たちは考えるようになった。
「世界経済の構造そのものが歪んでおり、公式的な植民地主義(colonialism)が終わった後も、富める者の利益のために貧しい国々の労働力と資源がより搾取されるように設計されている」と新たに独利した国々の指導者たちは声高に主張した。
1955年にインドネシアのバンドンで開催された会議に、植民地支配を受けて後に独立した数十カ国が集まり、集団としてのアイデンティティを確立し、自分たちにとって不利な状況になる、傾いたフィールドの上で共通の利益を主張するプロセスを開始した。
アメリカと同盟を結ぶ西側諸国「the U.S.-aligned West」(第一世界、the First World)やソ連と同盟を結ぶ東ヨーロッパ諸国[the Soviet-aligned Eastern Bloc](第二世界)とは対照的な、誇り高き第三世界運動(The Third World movement)が誕生したのである。
その後数十年間、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、カリブ海諸国からなる、この異質なグループは、非同盟運動(the Non-Aligned Movement)や77カ国グループ(the Group of 77)といった旗印のもとに組織され、残存する植民地体制と、それを引き継いだ「新植民地」体制(the “neocolonial” system)の両方に対して、集団的な闘争を展開した。
バンドン会議から約20年後、この運動はおそらく最大の戦いに勝利した。
1974年5月1日、第三世界の国々は、第二世界の同盟諸国や石油輸出諸国の新たなパワーに支えられ、裕福な第一世界の抗議を押し切って、2つの画期的な文書を可決した。
それらは、国連総会を通じて可決されたもので、それが「国際経済新秩序確立宣言及び行動プログラム(the Declaration and the Programme of Action on the Establishment of a New International Economic Order)」である。
この構想の背景にある理論は次のように簡潔なものだった。
「世界経済システムの根幹をなすルールは不公平であり、それを変えるために貧しい国々が団結することが発展の鍵である」。
第三世界全体の支持者にとっては直感的なものであったが、この視点はワシントンにおける一般的な正統性とは相容れないものであった。
この視点を理解することが、今日の世界を理解する鍵である。
この宣言では、既存の経済秩序は、「外国人による植民地支配、外国による占領、人種差別、アパルトヘイト、新植民地主義(alien and colonial domination, foreign occupation, racial discrimination, apartheid and neo-colonialism)」によって定義されていると主張している。
既存の経済秩序は「開発途上国の完全な解放と進歩に対する最大の障害(the greatest obstacles to the full emancipation and progress of the developing countries)」である。
よって、発展(development)には、主権、公平性、国際協力に基づく新しい秩序の構築(the construction of a new order, founded on sovereignty, equity, and international cooperation)が必要である。
これを達成するために、国際経済新秩序決議(the NIEO resolutions)は、世界経済のルールを包括的に書き換えることを要約的に網羅している。
具体的には、
国家が自国の天然資源を管理する権利を明記すること、
主要テクノロジーへのアクセスの集中を終わらせること、
多国籍企業の規制を強化すること、
適切な世界的流動性を確保すること、
増大する公的債務(sovereign debt)の負担を軽減すること、
国際通貨基金(International Monetary Fund、IMF)などの諸機関の民主化、
貿易と金融に関して貧しい国に優遇措置を与えること
である。
これらは、グローバルガバナンス(global governance)の最高民主機関である国連総会で可決された、国際経済新秩序決議で承認された要求のほんの一部にすぎない。
このような野心的な改革が政治的な文書で実現されるなどとは誰も思っていなかった。
実際、当時のアルゼンチン国連代表は次のように述べている。
「国際経済新秩序は、宣言だけで構築されるものではなく、行動によって実現されるべきである。
しかし、国際経済新秩序(NIEO)決議は、より平等な世界経済に対する第三世界の共同ヴィジョンと、それを達成するための計画を宣言するという、青写真を提示したものである」。
しかし、明るい未来への道筋を示すはずだったものは、落下の前の最後の最高頂点だったことが明らかになった。
国際経済新秩序決議から数年後、第三世界運動の力は弱まった。
冷戦の波にのまれ、運動の最強の擁護者たちは没落していった。
インドネシアからチリ、グレナダに至るまで、彼らはしばしば暴力的に、そしてアメリカの後ろ盾によって、政権から排除された。
ヴォルカー・ショックによって火薬庫に点火され、国際経済新秩序が救済を求めた債務の増大は、危機的状況に達した。
絶望的な債務諸国は、「構造調整(structural adjustment)」を条件とするIMF融資を受け入れざるを得なくなった。
やがてソヴィエト連邦が崩壊し、第三世界運動の盟友であり、アメリカに対する世界的な対抗軸であったソヴィエト連邦が失われた。
前例のない一極支配(unparalleled unipolar dominance)のこの瞬間、世界経済に確かに変革が起きたが、それは 国際経済新秩序(NIEO)のヴィジョンに似た形ではなかった。
多国籍企業がますます強力になる一方で、多国籍企業を保護するために貿易協定や新たな企業裁判所が設立された。
持続不可能な債務負担は世界経済の恒常的な特徴となり、それが、多国間金融機関とそれを支配する西側諸国が債務諸国の主権政策を支配するための手段となった。
テクノロジーの独占が法律に明文化された。
富裕国とその企業の狭い利益が、これまで以上に世界経済のルールに深く組み込まれるようになった。
こうした変化は、繁栄を共有する新たな時代というよりも、「失われた数十年(lost decades)」の複数回の深化、世界的な不平等の拡大、そして(ワシントン・コンセンサス改革を回避した中国を特筆すべき例外として)世界的な貧困問題解決の進展の相対的な停滞をもたらした。
国際経済新秩序は、多くの人々にとってはより希望に満ちた時代の遺物であったが、他の人々にとっては完全に忘れ去られた過去のものとなった。
2024年1月19日、ウガンダのカンパラで開催中の非同盟運動サミットで、本会議場への立ち入りを監視するウガンダ軍メンバー
西側諸国(the West)では、この具体的な提案の歴史が記憶から消し去られているだけでなく、その動機となった課題、視点、政治に対するより広い理解も消し去られている。
発展を技術主義的な政策決定の問題と見なしたり、国際関係を民主政治体制と権威主義政治体制のゼロサムの戦いと見なしたりすることに慣れている人々には、1974年当時と同様、今日でも世界の多くの国々にとって、地政学の中心的な要点(fulcrum)が、現在一般的にグローバル・ノース(global north)とグローバル・サウス(global south)と呼ばれる国々の間の力の不均衡(the disparity of power)と、制度的不公平(systemic inequities)を是正するための闘いであることを想像するのは難しいかもしれない。
国際経済新秩序が発展に対する構造的障害を指摘して以来半世紀、世界の強国はこれらの障害を取り除くことに失敗しただけでなく、その強大な力を利用して障害を根付かせてきた。
南半球の多くの人々にとって、アメリカを頂点とする北半球は、自分たちの期待を裏切った政治・経済秩序の守護者である。
取り残された人々が、代替案を求めて、そして私たち全員が望んでいること、つまり「よりよく生きる(to live well)」ことを実現するために、共に戦おうとするのは当然のことである。
世界貿易機関(World Trade Organization、WTO)では、インドと南アフリカが先陣を切って知的財産権(intellectual property)の制限を緩和し、新型コロナウイルスワクチンのような必要不可欠な医薬品への世界的なアクセスを促進する努力を行った。
国連では、アフリカ諸国が世界の租税政策を富裕国クラブ(rich countries club)から引き離し、自国経済から何十億ドルも流出している組織的な租税回避行為を止めさせるキャンペーンの先頭に立っている。
世界銀行(World Bank)とIMFでは、南半球諸国が債務帳消し(debt cancellation)、譲許的融資(concessional financing)、ガバナンスの民主化、逆進的な融資条件の廃止を求めて闘っている。
非同盟運動とG-77は定期的に会合を開き、より公平な世界経済を構築するための公約を更新し続けている。
グローバル・サウスの再興は、実際、アメリカ主導の既存の国際秩序にとっては脅威かもしれない。
しかし、それは我々全員にとって良いこととなるだろう。
国際経済新秩序(NIEO)の主な関心事は、当然のことながら、世界の何十億もの貧しい人々の幸福だったが、その擁護者たちは、第三世界の発展を第一世界の人々にとっての損失とは位置づけなかった。
実際、国際経済新秩序宣言自体は、「先進国の繁栄と途上国の成長と発展の間には密接な相互関係があり、国際社会全体の繁栄はその構成要素の繁栄に依存している」と宣言している。
国際経済新秩序が敗北した後の時代に、
賃金の停滞(stagnating wages)、
格差の拡大(widening inequality)、
社会的保護の溶解(the erosion of social protections)、
そしてその結果としての
反民主的反発(resulting anti-democratic backlash)が
グローバル・ノースで見られたのは偶然ではない。
新たな経済秩序は、安価で搾取可能な資源と労働力の安定的な流入に依存するグローバル・サウスの利益を犠牲にする一方で、労働者であるアメリカ人は、世界的な底辺への競争に終止符を打つことによってのみ利益を得ることができる。
繁栄の共有(shared prosperity)、
気候変動などのグローバルな課題に立ち向かうための多国間協力(multilateral cooperation to confront global challenges such as climate change)、
その名にふさわしいルールに基づく秩序の確立(the establishment of a rules-based order worthy of the name)、
これらは全ての人が恩恵を受けることができるグローバルな公共財(public goods)なのである。
グローバル・サウスの要求の正当性と、その力の増大がもたらす機会を認めることは、南半球の全ての主体の行動を盲目的に支持することではない。
確かに、グローバル・サウスにも、グローバル・ノースと同様に、発展、平和、民主政治体制、人権とは相反する国内政策や外交政策を追求する政府もある。
しかし、これらの本質的な目標は、発展への真のチャンスを提供する国際秩序のもとでは、より繁栄する可能性が高いのであって、決して低いものではない。
一部の濫用を恐れて、より公平な国際経済システムへの正当な要求を退けるのは間違いである。
南半球諸国の力が新たに台頭する時代には、独自の課題が伴うかもしれないが、それらを恐れる必要はない。
それは、まったくもって逆のことであり、あまりにも長い間先延ばしにされてきた夢、つまり半世紀後に新しい国際経済秩序を構築し、全ての人にとってより公正で豊かで平和な世界を構築するチャンスを実現する機会を提供するものとなる。
(貼り付け終わり)
(終わり)
非米側が主導する多極型世界 5 ~非米側の防人~