す昨夜は、何気に数ヶ月前からソワソワと楽しみにしていたダムラウのリサイタルでした。


プラテアのど真ん中の席を手に入れていたので、彼女の歌を真正面から受け取ることができました。


感じたことをステキな文章にしたいけど、とりあえずだだだっと書かせていただきたい。


自由
自然
キラキラ
軽い
物語るように歌う
ミュージカルのようでもある
声の表情、表現が玉手箱から色々出てくる
ブレスも音楽の一部
たくさんの息
大きな声はいらない
キラキラの優しいピアノ(声)
舞台に出て来てから、舞台を降りるまで、見ているものを緊張させない空気、立ち姿、振る舞い
柔らかいドイツ語
湯気のような繊維のようなもの(つまり息)が空気中を泳いでるような歌声
ピアニストとの音楽性の見事なマッチ
私がイメージする、さらに10歩先まで行き届く音楽のしっぽ
彼女のキャパの中での最大で最高な『遊び』


完全ドイツものプログラムで、ドイツに滅法弱い私はほぼ知らない曲ばかりだったのですが、そんなことは大した問題ではなく、彼女のチャーミングな世界にすぐに引き込まれました。

ドイツ語って綺麗で柔らかいんですよね。
数年前、テレビでドイツ人が話してるのを聞いて、それまであまりいいイメージのなかったドイツ語に対して、かなり印象がかわりました。
逆にかわいい言語だなと思えるほど。あれは衝撃でした。


ただひとつだけ。

もちろん、ダムラウは素晴らしい。

それはベースに当然ありますが、

彼女は私が目指すベルカントの王道にはいないな、と感じました。

それはこれまでも録音を聞いてきて感じていたことだったのですが、実声を聞いてわかりました。

メソッドが完全に違うとはいいません。

けれど、約2年前、デヴィーアを聞いたときの、あの身体とこころの芯が震えるような、泣きたくなるような、怒りがこみあげるような、もうよくわからなくなる(笑)感動は、、残念ながら感じないんです。

彼女の高音は、ベルカントの一本のラインの中にないからかなというのが私の見解です。




私は固定ドではないので正確ではありませんが、たぶんラはすでにかなり頭声よりでした。

ベルカントでは、ドまでは同じラインにあるべき。ドより上から頭声を混ぜて行く。と言われています。そして、響きぐ開きがちになるが、集めていかないといけない。もしラくらいから頭声よりにしたとするとフォルテにしたとき、すごく不快な金属的な響きになりますし、支えが足りないのは聞いていて不安になります。そしてたぶん完全に響きは広くなります。

ただこれは一般の話で、もちろん彼女の息コントロールはすっばらしいので、支えが足りないとは聞こえません。Sul fiato ではあるが、丹田をあまり感じさせない、少し開いた音でした。マスケラよりの。


もちろん彼女のソプラアクート(超高音、つまりドより上)は素晴らしい。余裕があって、軽くてまろやか。

私が感じたのは、ラからドの音域の扱い方。


その意味では、あまり好きではない高音(ピアノならまだいいのですが、フォルテ)のとき、私がついついやっちゃうダメな癖、顔をしかめてしまいました。。真顔 ごめんなさい&何様だ


ドイツ唱法かベルカントか、なんて議題がいつの時代もあるけれど、実際のところ、2つとも極めた人に出会ったことがないのでわかりませんが、この2つの唱法の違いは簡単には言えないだろうとは思います。


彼女が、ベルカント でいうデヴィーアなのだとしたら、違いは今回感じた、リネアの理念なのかなと思いました。


もう一点付け加えたいことは、
母音の響きが結構自由だったことも感じのですが(表現だということを差し引いても)、それは正しいドイツ語の響きを知らないのでなんとも
言えません。

しかし、ベルカントでは母音、子音全てを一筋の息のライン上で扱うのが基本なので、そういった部分は疑問が残りました。

ドイツものも勉強しなくてはわかりませんね。


でも、たくさんの気持ちいい音楽を味あわせてもらえて至極のひとときでした。

ピアニストさんよかったなぁ。