日付が変わってしまいましたが。
ヤフー検索で「3.11」と入力すると募金ができたみたいですね。
あの震災から4年。
あの日、あの時間、私はまだ独身で現スカイツリーの近くの、エレベーターで何度も中に閉じ込められるオンボロ社員寮にいました。
夜勤明けでシャワーを浴びて、当時の彼とディズニーデートのために家を出ようと準備していたところでした。
あの頃はまだ旦那にも出会ってなかったんですね。
ウキウキで髪を乾かしていたところに突然の強い揺れ。
オンボロ寮の5階は揺れに揺れて収まりそうもなく、「ついに関東大震災がきたんだ、死ぬかもしれない」と携帯と財布を掴んで、今は亡き母にとっさに電話をかけて部屋を飛び出しました。
揺れが強すぎて、母とも会話ができず後輩たちと1階に避難してテレビをつけると震源地が東北と知り。
震源地じゃなくてこんなに気持ち悪くなるほど揺れるのに、震源地はいったいどうなっているのだろうと恐怖感でいっぱいになりました。
ちなみに部屋に帰ってドアを開けると、入り口に冷蔵庫から落ちた電子レンジと粉々になったトースターが散らばっていて、早く避難してなかったら…とぞっとしました。
その後は携帯がまったく繋がらず、外の公衆電話は行列。
コンビニは物がなくなってて。
二日後になっても電車はJRがとまってて。
バスも無理やり押し込んで乗るけど、乗れない人もいたり。
とにかく異様な光景でした。
私の職場は電車が停まってても遅刻すると始末書かかされるところだったので、バスとマラソンで乗り切ったり、その後自転車を買ったりしました。
その時買った自転車は今旦那が使っていて、あの時落ちた電子レンジも未だに使っていて、見るとあの日のことが蘇ってきます。
4年で色んなことが変わり、私ももうすぐ2児の母。
のんが産まれてから小さい地震があったときも、この子を連れて震災にあった時どうやって逃げようかと何度もシュミレーションしたものですが、一人で二人連れてとなるともっと考えないとですね。
ちなみに旦那は役に立ちません。むしろ足を引っ張られそう…
あの日のあの時間、新宿の社員寮で寝ていた旦那は先輩に起こされるまで気付かず寝ていたらしいです。
とりあえず起こして起きなかったらほっといて子どもと逃げようかな。
実際そんなことできないだろうけど。
でも、震災の時のとっさの判断って重要だと思います。
一瞬で色んなものがなくなってしまう恐怖。
津波にあわれた方の気持ちを想像するだけで居たたまれなくなりますね。
旦那も震災直後に仕事の関係で何度か岩手や福島に行っていて、津波で瓦礫しかなくなってしまった広い土地や放射線を測るレーダーがずっと警報値で鳴り続けていた話などを結婚後に聞きました。
震災直後に何にもなかった場所でも、多くの人が生活してたことを思うと…うまく言葉にできません。
私は生まれてから1度も東北に行ったことはないんですが、岩手のあの場所にもう一度行きたいという旦那と一緒に、のんやお腹の子が少し大きくなったら訪れてみたいです。
一刻も早く復興できるよう、募金や食品購入など自分のできることで応援していきたと思います。