今アメリカの複数の大学ではパレスチナ指示で大騒ぎになっている。


一般の市民である私でさえニュースを見ているとガザ地区の人たちを救いたいと思うのだから多くの人が同じように感じると思う。

ところがいくら世界が騒いでもイスラエルは耳を貸さない。

イスラエルにとってパレスチナの人たちは人間ではないのだろう。一人残らず殺す気かもしれない。それが正義だと思っている人たちには何も通じない。


正義。正義こそ人間の恐ろしい気持ちを引き出すキーワードだ。


正義は人によって違う。


自分の正義を行うためには何をしてもよい。それが正義なのだからしなければいけないということになるのだ。


人は正義だと思えるから戦える。


どうして相手を理解しようと思わないのか、相手の痛みを考えないのか?


自分の正義のために孤独になるのではないか?


イスラエルは今孤立している。もちろん約束している仲間の国は助けるだろうが、それは約束だからだ。イスラエル以外の人々はすでにイスラエル🇮🇱を好ましく思っていない。それが今回の大学の騒動に現れていると思う。


それでも構わず殺戮を繰り返すイスラエル🇮🇱に憎悪の気持ちを持つものは増えると思う。


イスラエル🇮🇱とガザ地区の紛争は自分には全く関係ないことだが、日々普通の生活をしている人々の正義感に火をつけるのには十分なニュースを目にしている。


自分の生活に全く関係なくとも、自衛もできない人たちを守りたいと思うのも個人の正義感であり、私はこの正義感は大切なものだと思う。

この気持ちがないと全く他人に興味を持たなくなるのではないか?


知らない人でも助けたい。それは人間の素直な気持ちだし、イスラエルの人たちもパレスチナの人たちに同じ気持ちをもって欲しいと願う。


正義はやっかいだが、誰も悲しまず犠牲にならない大岡裁きや遠山の金さんのようなスカッとするような正義を期待する。