今日は教会員のお宅で杉田牧師のお話しがあった。
先生のお話しは元気が出る。
先生はいつもお元気だが、今度癌の手術をするそうで、神様が先生をお守り下さるように祈っている。
教会員の家は庭にプールもある大きな家でまるでモデルハウスのような素敵な家だ。桜が満開だった。30人ほどが集まっても余裕がある。ちゃんとみんなが座れる椅子とテーブルも用意されていた。
先生のお話しは自分が幸せになる事が他の人も幸せにするという話だ。
我慢している人は幸せではない。
私は弟を思った。小さな頃から良い子だった弟だが今は自分の人生に大きな不満を持っている。母は弟は手のかからない子供だったというが、親の期待を裏切らないように我慢してきたのだろう。長男なので親の店を継ぐことも決まっていた。
でも60歳近くになった今、自分は好きな事ができなかった、これからもできないというのだ。自由に楽しく生きている私は弟にとって気に入らない存在なので口も聞かない。母にも冷たい態度だ。
じゃあ私が好きな事をやめるべきなのか?どうすれば良いのかと杉田牧師に聞くと、私は好きなことをして幸せでいれば良いと言われてホッとした。私が我慢しても何も変わらない。それよりも自分が幸せなのを見せる方が良いというのだ。
私が弟に何かを言っても逆効果。我慢をやめて幸せを求めることは自分で気がつかないといけない。私が幸せならば、その姿を見て他の人も幸せになるというのだ。
それはそうだ。自分が幸せでなければ他の人を幸せにはできない。
では幸せとは何か?いつも喜んでいる事。感謝がないと幸せにはなれないし、やりたいことはできるならやる。我慢しないということだと思っている。
自分が不幸だったら他の人も不幸にしてしまうかもしれない。まずは自分が幸せにならないといけない。
杉田牧師の話の中心は自分が幸せになる事だ。今回も元気をもらいました。