今日は、テレビ朝日で13時から「徹子の部屋」に渡辺えりさんが出演されましたキラキラ

その中で、ジュリーのことをお話しされていましたので、ちょっとアップさせて頂きたいと思います照れ

 

 

 

「少女の頃からジュリーに熱狂」

 

「沢田研二さんの歌が・・最近のライブに行ってたりなんかしてるんですってね。」

 

「すっかり癒されてもらっています。」

 

「小学校6年の時に”シャボン玉ホリデー”を見てからファンになって、自分の半身だって勝手に思ってしまって・・。」

 

「結婚するつもりだったの!?

 

「みんなそう思っていますよ、小学校6年生はニコニコ

 

 

「そうかな!?

 

「今は思っていませんよビックリマーク今は!!その当時はそう思っていて。」ラブ

 

わかるラブラブラブラブ 私も姉もそうだったの爆  笑全国の小学生はデビュー当時ジュリーのお嫁さんになるビックリマークって~本当にそう思ったのてへぺろ

 

 

 

「でも変わらないですよ、沢田さんの声は照れ

 

とにかくホッとするんですよね。沢田さんはたくさん歌を出していますから、若い時から現代の歌まで全部聴けるんですよね、

寝る前に聴いて耳孤独を癒してもらってます。」

 

「その時にジュリーって言うの!?

 

「言いませんよ、もう私、大人ですよ、66歳ですよ。」爆  笑

 

「おばあさんで言っていた人いるでしょう!?

 

「それは、樹木希林さんですよ~。」

 

 

 

 
 

「今はどうなの?」

 

「すごくいい感じで~73歳で本当にいい意味で年をとられて深みが出てきて・・。

この前の5月のチケットも取って行きましたけど、コロナだから騒いじゃいけないんです。

”ジュリー”とか言っちゃいけなくて、みんな規則を守って~正面を向いていて

ホントはみんなこうやりたいんです、立ってジュリー!!ってやるんですけど、

やらずにコロナだからおとなしくしているんですよ。」ニコニコ

 

たぶん、この収録、この前の渋谷のライブ前だったんじゃないのかな?

 

「同世代の女性が多いんですって!?

 

「多いです、だけど後ろ姿はみんな若いんですよ。キャーって!!

だけど明かりがつくとみんなおばあさんみたいな、こんなこと言っちゃ悪いんですけど・・(笑)」えー

 

「子供の頃、地元でジュリーのコンサートはなかったの!?

 

「山形であったコンサートには行けなくて、中止?髪が長いのは不良?行っちゃいけないとか・・。泣く泣く諦めました。

 

だからタイガースの解散コンサートの映像を署名運動などして、山形放送に持って行って~それで放送してもらった事があって、

それが今でもみんなファンだというドキドキドキドキ

 

「ジュリーと仕事したことあるの!?

 

「あります、”フィガロの結婚”で~

沢田さん、吉田日出子さんとシアターコクーンの舞台でご一緒させて頂いたことがあります。 

そこでは、”本当に嬉しかった、思った通りの人だったキラキラと書いてあるんですよ~。」(これは、当時のパンフに書いてあったみたいです。)

 

「忘れられないのが、沢田さんが40度の熱があるのに稽古を休まないで~普通は稽古休むでしょう? 

それがあの方は、体育会系でキッチとした方だから・・稽古場で布団を敷いて~おでこに氷嚢をして観てたんですね。

 

そういう真面目な、集中力があって~きっちとやる方でしたよ。」ニコニコ

 

うんうん、なんかわかるよ~!!ジュリーってやっぱりそういう人なんだよねキョロキョロ

 

「曲を作ってもらった事は!?

 

「あります。  音符”スペシャル・ボーイ” 作詞・作曲 沢田研二さんでドキドキ

40周年記念のアルバムに入れさせてもらいました。」

 

いいな~、えりさん羨ましすぎですラブラブラブラブ

「ジュリーが好きラブラブ」って言い続けて~、

お仕事一緒にしたり、ジュリーが曲を作ってくれたり、言い続ければ願いは叶うですよねラブ

 

「全盛期の頃ベストテン見ていたでしょ!?

 

「ええ、その映像、毎日見ています。」と~笑うえりさん爆  笑

 

「あの方の曲はずっと聴いてましたけど。」と黒柳さん。

 

その後は、美輪明宏さんのお話し。

子供の頃のお話し。「天使のえりちゃん。」って言われていたこと。

ご家族のお話し。

 

「人の笑顔を見るのがいちばん好きなんですね、今も。」この言葉にグッときました。

 

そして、最後は「亡き親友と紡いだ感動の秘話」ということで、

一番の親友の中井さん(旧姓犬飼さん)

えりさんは「わんこ」さんとおっしゃっていました。

彼女も上京して舞台照明などの仕事をしていたのですが、57歳の若さで亡くなってしまったお話し。

 

えりさんがこの間までやっていた舞台で「老後の資金がありません」で高畑敦子さんとの最後のセリフで~

「二人とも年をとるまで、おばあちゃんになっても思い出話したくさんしようね。」

 

このセリフを言うのに彼女のこと思い出すからいつも言えなくなっちゃうんです~思い出すと泣けちゃってえーんあせる

 

彼女がいなくなって、本当にこれができなくなって悲しいと・・汗汗

 

思わず一緒にもらい泣きしちゃいましたえーん汗汗

 

私達姉妹も、お互いに元気で長生きしようね~といつも話しています。

 

一人になっちゃったら、誰とジュリーの思い出話しするの?ってえーん

 

このブログを書いている時に訃報が飛び込んで来ました。

ザ・タイガースの名付け親で、たくさんの楽曲を提供してくれた「すぎやまこういち」さんがお亡くなりになったということです、 ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

クローバー今日は素敵な劇作家で、女優さんで、歌手でもある渡辺えりさんの話題でしたラブラブラブラブ