さて、ジュリーのライブも東京、名古屋、大阪と無事終了しました。

 

そして皆さまのブログを巡りあし読ませて頂いてジュリーの様子、興味深いMCなど~今回参加できなかった私も十分堪能することができましたラブラブ

 

 

本当に感謝しています、ありがとうございましたニコニコ

 

 

 

そういえば今回の名古屋のステージのMCでも亡くなったお父さんの年齢とそして、5月27日はお母さんの命日だったと話していますよね・・・しょぼん

 

さて、ジュリーのお母さんが亡くなった日の続きを書こうと思います。

 

 

 

今回フォーラムへ行くことが出来なくなったので、もしよかったらチケットがあるので行かれませんかはてなマークと元ジュリーの付き人のボーヤだった西澤守さんに連絡をしてみたんです。

 

 

「その日は、ちょっと用事があるのでダメなんです、行きたい気持ちはあるのですが、お気遣いありがとうございます。」と返事が来ましたかお

 

 

それで、あの日の事を聞いてみたのです。

 

 

「あのジュリーのお母さんが亡くなった日の事覚えてますかはてなマーク何か思い出したら教えて頂ければ幸いです。ちなみにお母さんが亡くなったのを聞いたのはいつだったのですかはてなマーク

 

 

 

「あの日は沢田さんは『マモル、今日は前に乗ってくれる?』といきなり言ってきたので?なんでと・・。」

 

 

車中ではまったく会話がなく「なんか変やなぁ~」と思ったのは覚えています。最後まで私には言いませんでした。

 

亡くなったのを聞いたのは確か公演中の楽屋で森本さんからでした。

 

公演終了後、いそいで自宅に帰り、夜中に車で京都まで行きました、ちなみに私は留守番でした。

 

 

 

そうだったんだ~、あの日~山梨~東京~京都実家~

そして、とんぼ返りでまた東京・・

 

そして仕事をこなし、また告別式のために京都へ行ったんだね叫び

 

 

 

当時覚えていることは、ジュリーの乗った車を追い越す時に、いつも助手席に座っているはずのジュリーがいなかった、そして後ろに座っていた・・これが真実だったんですね・・・ガーン

 

 

 

後日、ジュリーの運転手の三〇さんに聞いたところ、

 

 

ジュリーはお母さんに対面した所、

 

 

「おかあちゃん。」と言って

 

 

小さい子供のように泣きじゃくっていたと言います。

 

 

 

私は、この話しを直接聞いたとき、本当につらくて悲しくて泣いてしまいました汗汗

 

 

そして自分だけの胸にしまっておこうと思いました。

 

 

なかなかこの話題は書こうと思っても今まで書けませんでしたガーン

 

 

晩年お友達になった大阪のみるちゃんのお話しでは新聞に

 

「ジュリー母の死?危篤?を乗り越え熱唱!!」って見出しをなんとなく覚えてるよ~。
 

東京音楽祭の生のゲスト出演を外せなかったのよね~しょぼん

この葬儀の日時や場所が新聞に書かれてて
 

月曜日に学校に行って、同じジュリーファンの人に話して
二人で葬儀(実家)に行ったな~。


もちろん、遠巻きに見ていただけなんだけどね・・

って聞いたことがありました。

 

 

今、私は亡くなったジュリーのお母さんの年(享年54歳)をとうに越え、(ジュリーはステージでは57歳?って言っていたみたいですが・・)

 

なんて早くに亡くなってしまったんだと、とても残念だと思うし~汗

 

まだまだたくさんのことをやりたかったろうし汗

 

妹さんの三千代ちゃんのことも気がかりだったろうし汗

 

もちろんジュリーの行く末も気になっていたと思います。

 

修学旅行でジュリーの実家を訪ねて、お母さんに会ってお話ししたことを思い出しました。本当に優しく対応してくれました~まさかその4年後にお亡くなりになるなんて…😭

 

ただ救いだったのは、ジュリーが前年に「レコード大賞」を取り華々しい活躍をしていたのを見ることができたので、親孝行できたんじゃないかと思っています。

 

 

あと、お父様は101歳までご健在でしたが、奥様が亡くなられて40年近くお一人で過ごされて淋しかったんじゃなかったのかと思いました汗

 

 

少し後のテレビ番組のインタビューでジュリーはお母さんのことを聞かれ、

 

 

「高血圧だから、気をつけえよ、」と言っていました。

 

あと「親孝行したい時は親はなし」と言われていますが、

僕は同じことをしてしまいました、

 

と答えていました・・。

 

 

ジュリー本当につらかったろうね。