12歳から大分月日が経ちますが…。

わたしは、中学3年からあんまりというか、ほぼ学校に行ってませんでした。

勉強に遅れがあって、ついていけない科目は違うクラスでやるみたいな感じで過ごしていました。

ですが、いじめがあって学校を行かなかった訳ではなく、友達と過ごす時間も嫌じゃあなかったので!

ただ単に、学校がめんどくさいだけで行きませんでした…。

 

行かない代わりに、1番下の妹の送り迎えをしていました。

夏になる前かなぁ?また、あの時の症状が起きました…今回は妹を保育所に連れた行く時間にでした。

その当時、次女の妹が 先天性耳瘻孔といった、分かりやすくで言ったら、耳の上の方にピアスで開けた様な穴みたいなのが

開いていて、その穴が可能すると、膿や出血、最悪の場合は、手術して治す方法しかありませんでした。

 

妹の場合、その小さな穴から、膿や出血をしていた為、破裂する前に手術をしなければなりませんでした。

なので、毎日学校へ行く前に、近くの病院へ通院していました。

わたしが、倒れる日も母と行く予定でした。

でも、わたしは体調がおかしいながらも、今回も母には言えず…妹と一緒に保育所に行き、妹を保育所まで届け帰ろうと

思ったその瞬間に、あの時とおんなじ状態で、全身が震えて立っていたのですが、足から崩れ落ち、目の前が真っ暗になり

意識が戻った時は、母と妹が病院へ連れて行こうとしてた時でした。

後から聞くと、母の携帯に、保育所の先生から電話が掛かってきて

「娘さんが、倒れました!!急いできてください!!わたしが、見た感じですとてんかん発作だと思います」と話してくれました

 

そこからです、意識が戻ったわたしは、パニックになりバレてしまった!!!何故かわかりませんが、「手術?手術するん?!

ごめんね…!!ごめんなさい」と連呼しながら、また意識が遠のき、また意識が戻ったら、次女が横で、「kokoro!大丈夫やからね

‼」と泣きじゃくってるわたしに、何回も言ってくれました。しっかりもで弱音を吐かない妹なんです。

 

そして、やっと意識が戻ったので、母と検査結果を聞きに行きました。

わたしは、「いつ検査をしたん?」と尋ねたら、倒れてすぐにしてくれたよ。と母が言っていました。

 

先生から聞く前に、涙を流していたお母さんの事を、今でも忘れません。