昨日買い物の母の買い物の送り迎えを

考えていた時に母からスマホに連絡がありました

「今日 午前中人が来るから買い物は 昼過ぎか明日に」って・・

 

「?どうしたの?」って聞いて なんか嬉しくなりました

 

実家ケーブルテレビを引いているのですけど

定期的に来る番組表にあったアンケートで

戦後75年になる事で 母はそれに少し書いたら

連絡があり 書かれた内容を放送したいってなったそうです

ただ聞くと 原稿を書いて欲しいって事になって

そうなると 母はもう目が悪いし原稿などを書くのは

無理って事で断りました 忘れた頃にまた連絡があり

でも それを言った人が原稿を書いたので

見て欲しいので 昨日の昼前に来るからって事でした

 

母は広島の呉という所で幼い頃を過ごしました

呉は第二次世界大戦の時の軍港で

軍艦を製造し「戦艦大和」も作りました

海軍もありました。 小学校の近くに

墓地があり、これは戦死者が祭られています

母の学校では、そこの掃除も学校が担当していたそうです

戦争中は 多くの海軍の人達がいて

そこで 親切にしてくれた海軍の人達が

いっぱい亡くなったっていう経験もしました

 

疎開で母の父親の実家に行った時に

広島の原爆が落ちるのも そこから見えたそうです

 

私的には、母がこの歳で一人で生活している事に

感謝しています。

(逆に 誰にも世話になりたくないっていう

頑固さに腹が立つことも多いですけど 笑い)

 

母はもう基本金銭的に欲はありません

もっと言えば物欲も・・

人は色々な欲があります それはある意味

生きる糧でもあると思います

 

「それ 良いじゃない」って言ったら母の

スイッチが入り しゃべるしゃべる・・

私の知らないような 思い出もいっぱい出てきました

その代わり 横道にそれたらそこから長い・・・

 

来る担当者 大変だろうとも思います

 

記事になるかどうか 分からないし

自分が思っている事が伝わってないって時に

母親って結構 腹が立つ方なので ちょっと心配・・

 

ただ 生きて来たっていう事自体で

誰かに次に伝える物があるって思いました