帰省の際に 両親の実家が主ですが

お盆は母方のお婆ちゃんの母(ひいお婆ちゃんが)

一人暮らしをしていて、そこに行く事がありました

 

今では橋が付いていますが、昔はフェリーを使って渡る

島です、私は「島のお婆ちゃん」って言ってました。

小さい島でしたから、桟橋ありましたが フェリーでは

深さの関係でそこに行けないので 桟橋から離れた所で

フェリーがそれ用に引っ張ってくる 小舟から桟橋まで

行くようになっていました。

 

瀬戸内海の島ですけど、今では考えならないほどの

海の青さです。

島はみかんの栽培が主な生活の糧でした

島のお婆ちゃんは 旦那が出稼ぎで潜水艦の建設作業員を

していてある日潜水艦が沈んで浮き上がる事が出来なくて

昔でしたから直ぐに助ける事も出来ずに

やっと引き上げた時は全員亡くなっていて

「子供をたのむ」っていうメモがありました

そこから一人で子供二人を育てました

島のお婆ちゃんは頑固で ちょっと怖い人でした

ダメな事をすると、小さい体で仁王立ちになって

怒られました。

家には、お寺からもらった 漫画でその宗教の

本が数冊あって、そこで地獄とか閻魔様とか

描かれていてそこで地獄と極楽があるんだって知りました

 

考えてみると60代事でしょうけど 今と比べると

本当に80代お婆ちゃんって感じです

 

桟橋の隣に砂場があり、いくらでも泳げました

そこから遠くまでが水が綺麗なので見えるのですけど

どの程度かといえば、砂場から海を見ると

今だったら海の海面だけが見えるって事ですが

それに加えてだんだん深くなっていく底が一緒に

見える状態です。

つまり空・海面・遠いところまでの海の底という

海が二段になっているっていう状態でした

 

ですから遠くで魚が泳いでいるのが見えるのです

 

遊びで桟橋とかから釣りをするのですけど

適当に釣り糸を落とすっていうのではなく

上から見える 魚がいる所にそっと針を落とし

捕まえたい魚の口元に餌をもっていくっていう釣り方・・

餌をくわえたかどうかっていう為の浮きはありません

食べた事上から見えるのですから・・

 

家は台所・風呂・一間の部屋という小さい平屋の家でした

桟橋から少し坂になっている所まで歩いて15分ぐらいの所にあり

道の端には何匹もカニがいました。

私にはそれが面白く座ってみているのですけど

島のお婆ちゃんは 何がそんなに珍しいのかって

時々「なにしてるの 早く来なさい」ってよく言われてました

 

夕方赤とんぼが桟橋に飛んできます

その量はものすごい量です 軽く500匹ぐらいが

集団で舞ってました

海用の網もっていたので、面白そうって

振り回したら もう網の中には ごちゃごちゃと

はいってるの見てあまりに気持ち悪くて

一度しかしてません

 

質素な生活でしたけど、一度何かの事で

鯛の刺身を魚屋さんに頼んでいるから

私に取りに行ってってお使い頼まれました

そう言われて 桟橋近くの魚屋さんに行ったら

魚屋さん「ちょっと待ってて」って言って

生けすから鯛手づかみで取り出して

その場でさばいてくれて 新聞紙に

まいて「はい 出来たよ」って渡されました

 

勿論東京でも魚屋さんあってさかなをさばくのは

見た事がりますけど、生きてる鯛をさばくの初めて見たので

なんか残酷っていう気持ちがありました

 

もらって15分ぐらいの道を歩いていると

途中で持っていた新聞紙がピクピクしているに気づき

もう持てない・・・怖い・・気持ち悪い・・

そこでお婆ちゃんが貸してくれてる

手ぬぐいを広げて真ん中に置いて

両手でひっぱって 新聞紙を触らないようにして

持って帰りました

 

当然その日私その刺身食べてません

島のお婆ちゃん何で食べないのかって

何度も言われました ピクピクして怖いって

言ったら 笑いながらだから新鮮で美味しいじゃない

もう ピクピクしないから 食べなって言われましたが

 

もし食べて喉や胃の中でピクピクされたら

私悶絶しそうで 頑固に拒否してました