今まで、次男のことを多く書いてきましたが、長男も彼なりに父親のことを何とか受け止めようとしていました
私と弟が父親の変わり果てた姿を発見して、ふたりでロープを外して、苦しいつらい経験をしたとき、自分はいなかったということ、それは仕方のないことです
それを、帰宅した長男は気丈にも静かに話を聞いたあと、大事なときにいなくて申し訳なかったと言いました
即座に長男としての責任を感じたようです
「お母ちゃんでなくてもできることはするから。前に出るから」
何かと手伝おうとしてくれました
亡くなった翌日、葬儀の打ち合わせやお坊様の枕経が終わったあと、
「今日、何もすることないんやったら、ちょっとカラオケ行ってきてもいいかな」
そうだね、行ってきたらいいよ
誰も止めませんでした
2~3時間ほどして帰ってきました
後に、「こないだ一人の時にこれ練習した」と言ってたので歌も歌ったのでしょう
歌って、きっと父のことを考えて、
ひとりカラオケで、何を思って過ごした時間だったのだろうと胸が痛みます
葬儀でも何か手伝う?とよく声をかけてくれました
長男は、次男とは違ってまだ父親との思い出が多くありました
最近では車の運転や車庫入れの練習を見てもらっていました
そこが次男には悲しいところでもあります
「僕はまだ運転教えてもらってないのに」
でも昨年は自分が大学とバイトで忙しいのに、お父さんが家でゆっくりしていると、さすがにイライラしていました
やってられへんなぁと思う時がある……
そう私と時々話したことがあります
これは、うつ病患者の家族が感じる本音の感情だと思います
長男の泣いている姿を私は見ていません
棺にお花を入れて最後のお別れの時に大泣きしていたと姉から聞きましたが、私は自分が泣き崩れていたので見ていなかったのです (前の記事)
葬儀会館に向かったときも、最後にわたしが遺骨を抱いて帰るときも、車を運転したのは長男でした
私はペーパーなのでこれからは長男が運転することになります
帰りの車で長男が言いました
「あんな、ひとつ気がついてん。
こないだ僕が車使ったとき、ガソリンが少なかったから入れなあかんと思っててんけどな。
車動かすとき見たら、いっぱい入ってた」
「そんな……それって、あの日に入れたことになるやん……」
「たぶん、お母ちゃんを病院まで送ったときにガソリンないって分かったと思う。そのあと入れたんやと思う」
「……絶対あの日じゃなかったのにな。なんでやろな…」
後日送られてきたクレジットカードの明細でもそれが分かりました
ガソリンを入れていた
洗濯物を干そうとしていた
私を夕方に迎えに来ると言っていた
なんでやろな
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