藤原定家とかに星雲~死してなお照らす超新星爆発 | 森の夢~星が歌うとき森は静かに目をとじる

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*わたしは自分を許し、受け入れ、そして信じる*

 

というtweetを見て、かに星雲の超新星爆発=「ある天文学者の恋文」を思い出しましたおねがい

 

 

 

藤原定家といえば、新古今和歌集や小倉百人一首の選者として有名ですね。

 

『明月記』は、藤原定家が18歳から56歳まで書き続けた日記で、

現在は国宝に指定されています。

 

はるかン十年前に読んだことがあるのですが、内容はすっかり忘れています。

(きっと面白くなかったんだと思う(苦笑)

 

 

 

『明月記』に書かれているかに星雲の超新星爆発は、西暦1054年に起きたものだそうです。

 

 

中国の記録『宋史』「天文志」に客星(突然現れた明るい星)として記されており、

西暦1054年7月4日に現れ、1056年4月5日に見えなくなったそうです。

 

超新星の出現当時は金星ぐらいの明るさになり、23日間にわたり昼間でも肉眼で見え、

夜間は後2年間も見えていたとのこと。

 

文献は中国と日本にしか残っていないそうなのですが、

 

 

ちょ、待てよ(笑)

 

藤原定家が生まれたのは1162年なんです。

なぜ定家は、超新星爆発のことを知っていたのでしょう?

 

wikiによると、定家は陰陽寮(おんようりょう)と呼ばれた

天文学の資料を引用したのだろうとのことでした。

 

 

京都学園大学の臼井正氏によると→あすとろん5号

定家が69歳のときの日記に、かに星雲の超新星爆発についての

記述があるそうですが、実際には定家本人が書いものではなく、

陰陽寮の資料が挟み込まれていたのだそうです。

 

1230年11月4日に「客星」(いまで言う彗星)を見た定家は、

不審がっていろいろ調べたようですね。

その定家に資料を渡したのが、安倍康俊という人物だったそうです。

この人は陰陽師だったそう。

 

 

昔から彗星が現れる年は、天変地異や飢饉が起きる不吉な年と

言い伝えられていたので、定家は大変心配していたのでしょう。

 

 

彗星は紀元前2320年のバビロニアや、『ギルガメシュ叙事詩』、

聖書では『ヨハネの黙示録』、外伝『エノク書』において「落ちる星」として書かれていますが、

日本では、684年のハレー彗星の記述が『日本書紀』にみられるとのことです。

 

 

 

 


そういえば、今年はネオワイズ彗星の年でしたね!

 

 

2020年3月27日に発見されたばかりのネオワイズ彗星は、

日本でも7月は北海道付近ではよく見えたらしいですが、

梅雨が長かったので見逃した人も多かったのではないでしょうか。

 

次に地球に近づくのは、5000年後とか8000年後とか。

 

生きては見られない(苦笑)

 

 

 

 

 

 

この記事を書いている途中に、マドモアゼル・愛先生のyoutubeで

「宇宙はホログラム」説が出てきまして、https://youtu.be/zV7GrhvN7uA

私がそこはかと感じていたことを愛先生がお話されたので驚きました。

このお話はまたいつか。

 

 

藤原定家の和歌のことも書きたいので、カテ違いでまた書きますね。