さて、わたしの応募作「おろろんばい」は、最終選考候補の49作品の中に残ったらしい。
はじめから箸にも棒にもかからないと思っていたけれど、
わたしなりに精一杯頑張ったんだという思いはあるので、
認めてくださった方があるのはやはり嬉しい。
ありがとうございます。
「おろろんばい」の佐山みはるさん、逆縁を詠んで切ない一連でしたが、
作品化するには時期尚早だったかも。
<そのままに壁にかけたるカレンダーの千のひまわり皆こちら向く>
心に残る歌も多かったのですが。(編集委員・平野久美子さん)
タイトルの「おろろんばい」は、子守唄の歌詞である。大好きな「島原の子守唄」からいただいた。
~はよ寝ろ泣かんでおろろんばい おろろんおろろんおろろんばい~
たしかに人前に出すのはまだ早かったかな。生なましすぎただろうか。
逆縁を作品にすることには抵抗があった。しかし、いつかは詠まないといけないという思いもあった。それは故人をきちんと送るためにであるが。
ある日、わたしと同じように娘を亡くした方の短歌ブログを拝見した。それはそれはたいへん切なくて、たとえどんな励ましの言葉をかけたとしても空回りするだろうと思うほど、深い悲しみに溢れていた。血を流しながら、詠んでおられるのだ。そのどの歌もすべてがわたしに重なった。
でも、いったいなんのために。身がちぎれるほど苦しみを、なぜ人目にさらしておられるのか。
その後も時々、そのブログを拝見しているうちに「グリーフワーク」という言葉を知った。
悲嘆を苦痛なものとして受け入れる
悲嘆のプロセス(グリーフワーク)の重要なところは、悲嘆のプロセスは必ず苦しみを伴うということである。苦しみなしで経過する事はありえないということは非常に重要なことである。苦しんでいる時はその苦しみから何とか解放されたいと誰でも思う。しかし今経験している苦しみは、その人の人間的成長や自立を結果的に促進する貴重な経験になる。
苦しむということは当たり前のことであり、その苦しみ方、死別に伴う悲嘆の作業は一定のパターンがあるわけではなく、それぞれの人にとって固有なものである。個人の反応は所属する社会文化的要因や個性(パーソナリティ)あるいは死者との関係の強さにより異なる。個人はその人固有の死別体験、グリーフワークしかできないし、またそうすべきである。
ご自分の悲嘆を、あえて詠んでおられるのだとわかった。勇気づけられた気がした。
その方のように血が噴出している胸を開くことはできないが、目をそらさずに少しずつ苦痛を受け入れていきたいと思った。それが、逆縁をテーマに詠んだ作品を応募したきっかけとなったのである。