沖縄から見た日本と地球の未来。薩摩の琉球侵攻から四〇〇年。
~喜納昌吉インタビュー

「うるま」の歴史をたどる

「うるま」とは、琉球以前の沖縄の古称である。沖縄の美しい島々を称したの
か「珊瑚の島」を意味するという。また文明の故郷といえるイラクにある「ウ
ル」との関連を指摘する歴史家もいる。
 一二世紀に舜天王が誕生し、王朝の時代が始まる。「琉球」の名は、「隋
書」に「琉求」として紹介され、明の時代に「琉球」と表記されるようになっ
たという。一五世紀から一六世紀前半にかけて、琉球王朝は明との朝貢貿易を
行い、東南アジア諸国とも活発な外交・貿易を展開。繁栄を極める国家、琉球
王朝として成長していった。沖縄が独自の文化を持つ民族であることはこう
いった歴史からも見ることが出来る。
 この富に目をつけたのが、当時、財政的に厳しい状況におかれていた島津
家、薩摩藩だった。1609年、総勢三千余名の兵が鹿児島の山川港を出航。
3月7日、奄美大島北部に到着。4月1日、首里城を攻略する。国王が人質と
なり琉球王国は降伏した。薩摩藩の琉球侵攻と言われている史実である。
 以後琉球は、薩摩藩の支配下として幕藩体制に組み込まれながら、明朝、清
朝とも朝貢貿易を続け、薩摩から搾取され続けた。1879年の琉球処分よっ
て「沖縄県」が設置されて、琉球王朝は余儀なく消滅された。
「沖縄」という名は、八世紀後半に書かれた僧・鑑真の伝記「唐大和上東征
伝」に「阿児奈波」として初出する。「沖縄」の文字は、新井白石による「南
島誌」が初出だ。
 今年2009年は、この琉球侵攻から四〇〇年、琉球処分から一三〇年の節
目の年である。四〇〇年間、沖縄は脈々と日本から搾取される構図が作られ、
現在にいたっている。第二次大戦などでアメリカ統治下を経て時代が移り変わ
れども、この構図が解消されたという記録はない。日本から覘き見れる美しい
島「沖縄」からは想像し得ない真実の沖縄の姿である。