九五年には少女暴行という県民が驚愕する事件が起こる。この悲劇の事件は、当初少女の人権を考え記事にされなかったものが、数日経ってから大きく報道され始めた。連日の報道の過熱で、県民の怒りは増幅されていき、県民の叫びに応えるようにSACO(沖縄に関する特別行動委員会)は立ち上がっていくのである。〇四年には沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故直後に、感情を逆なでするかのように辺野古にボーリング調査が入り大々的に報道されて、沖縄の基地問題は全国に広がる。その時から沖縄の過重負担を分担しようという同情論に国民世論が形成されていく。時を同じくして米軍再編というモンスターが姿を現し、日本の安全保障政策にも大変革が起こってくるのである。
かつて、在沖米軍四軍調整官スタックポールが「キャンプ・キンザーは補給基地だから、もし返還するときがあればそれは海兵隊も引き上げるときである」といった内容を当時大田知事に語ったと言う。スタックポールは「沖縄の米軍は日本の軍国主義を抑える『瓶の蓋』だ」とも言っている。一連の米軍再編の流れを推察していくと、米国は安倍政権でこの「瓶の蓋」を開けようとしたのではないだろうか。強引に国民投票法を成立させた意味もそこにあるのではないか。しかし民主党に政権交代し当初の計画は頓挫したのであろう。米国が日本国憲法作成に関与し、三分の二条項という高いハードルを設定しながらも手続きの国民投票法が今までなかったのは、「憲法の不作為」ではなく「米国の作為」と見たほうが納得がいく。では今になって、「瓶の蓋」を開ける意図はどこにあるのか、我々は深く洞察しなければならない。それは日本の陸海空自衛隊が米軍のコントロール下に入ったということではないか。スタックポールの話は、決して平和のメッセージではなく、東アジアがより危険になるということを示唆している。
中国の飛躍的発展は日本をはさんで米中をより接近させ、G2と呼ばれるまでになり、アジアの未来は明るく映っている。しかしまだ東北アジアの不安定要素として台湾と北朝鮮は存在し、リーマンショックに始まった世界的金融危機は、アフガンとイラクで泥沼化した米国に打撃を与え、ドルを基軸通貨とする支配体制に翳りを落とさせている。米国債を多く抱える日中と米が景気の二番底を迎えたり米国がデフォルトに陥った時、あるいはホルムズ海峡が封鎖された時、東アジアの安定を保つことができるのかが問われているのである。
QDR(米国防総省の中長期的戦略文書)には、「予測不可能な状況がどこで発生しても柔軟で迅速な対応を可能にする場所に基地設置を目指し、同時に海外の基地を削減する」とある。ゲーツ国防長官は上院で「沖縄の海兵隊のグアム移転は、中国の軍拡の脅威からの逃避が目的だ」との考えを示した。それらが物語るのは何だろうか。かつてのアフガン戦線の北部同盟のように、対中国の前方展開に韓国軍や台湾軍や日本の自衛隊を出し、米国は一歩下がって司令塔だけでコントロールしようとする戦略がそこから見えてくる。沖縄から海兵隊を一番帰したいのは、沖縄県民よりも実のところ米国だと思わざるを得ない。米海兵隊の家族は本国に引き上げ、司令部がグアムに残り後方支援に廻ることが本音であろう。それをあたかも反対派の熱望に応えるように見せるところに米戦略のマジックがある。