破壊神か科学者か オッペンハイマー | 不思議戦隊★キンザザ

破壊神か科学者か オッペンハイマー

オッペンハイマーを観た。知らないことだらけだった。我々は原爆がもたらす非情な残酷さを熟知している(と思い込んでいる)はずなのに、その原爆を作った背景と人物のことを知らなすぎた。

 

 

当作品については日本公開が大幅に遅れるという珍事があった。原爆投下理由が許容できないからなのか、被爆者の方々への配慮なのか、利益が読めないからなのか、いろいろ噂は流れてきたが本当の理由は全く不明である。

また、米国では同日公開日の「バービー」とかけあわせて「バーベンハイマー」というミームが流行り、キノコ雲を模したファンアートがSNSを賑わせた。これを不適切とする声が日本国内で上がったが、マダムはキノコ雲といえどもファンアートのいったいなにが問題なのかさっぱり分からなかった。よくあるただのインターネットミームじゃん、と重要視はしなかった。とはいえOKであろうがNGであろうが、はたまた無関心であろうが意見を表明することは大切だよなあ、と思ったりした。マダムはオッペンハイマーを観たいと思った。

 

※「バービー」「オッペンハイマー」2本とも同日公開日という事情でバーベンハイマーなるミームが誕生した(マダムはこのミームは配給会社関係者が作品売り上げ促進の一環で意図を持って流布したものではないかと思っている)。前日譚としてノーラン監督が配給会社を古巣のワーナーからユニバーサルに鞍替えした意趣返しにワーナーが「バービー」の公開日を「オッペンハイマー」にぶつけてきたという経緯がある。

 

まあそんなことはどーでもよくて、オッペンハイマーである。当作品はほとんど会話劇である。会話劇なので字幕を読むだけで精一杯の3時間。しかしノーラン監督の天才的構成により中弛みすることは一切なく全然飽きなかった。

物語は54年に秘密裡で行われたオッペンハイマーの聴聞会、59年に商務長官に推薦されたシュトラウス(オッペンハイマーの政敵)の公聴会、そして戦前からのオッペンハイマーの生涯という3つの軸で進んでいく。時系列には並んでおらず、主軸がオッペンハイマーのときはカラー、シュトラウスのときはモノクロとなっている。時間が交錯しカラーとモノクロが入り乱れ登場人物がどんどん増える。場所、交友関係、立場、研究、目的、計画が次々と変わっていく。それでも迷子にならないのは多くの「謎」を含んだミステリー仕立てだからであろう。

 

なぜオッペンハイマーは戦後に糾弾されなければならなかったのか?なぜソ連のスパイだと疑われたのか?聴聞会はオッペンハイマーを陥れようとして仕組まれたものなのか?だとしたら、黒幕は誰だ?

 

情報過多な内容ながら、徐々に謎がつまびらかになっていく。まあ、謎っつっても全部史実なのだから知ってるひとは既知の情報だらけだと思う。マダムは全然知らんかったのでオッペンハイマーの生涯が丁寧にひもとかれていくさまを「ほおおおおおおおお」と思いながら観ていた。

 

 

当作品で描かれるオッペンハイマーは科学者である。環境と同僚に恵まれ、多くの科学者同様前途有望であった。日常生活の些事はたぶん苦手で、家事と子育ては妻に丸投げである。既婚者でありながら不倫をする。少々だらしない女性関係を除けば、大学で講義しながら研究をしている普通の物理学者である。そこへ不穏なニュースが入ってきた。核分裂に成功したナチスが原子爆弾の開発を進めているというのである。

米国政府は焦る。ナチスに核を持たせてはならない。ナチスを抑えるには、ナチスより先に米国が原子爆弾の成功を手にするほかない。

ルーズベルト政権は核兵器研究に特化したマンハッタン計画を開始、ロスアラモスに研究機関を設置する。オッペンハイマーはロスアラモス研究所の所長に任命された。壮大な国家機密機関である。世は未曽有の戦時下である。守秘義務は絶対だった。

 

研究所からひとつの町を作り上げるメリケンがスゴイ

こんな国と戦争しても負けるって

 

1945年7月16日、初めての核兵器実験が行われた。核のボタン押下後ただちに爆発、核分裂の連続は予想以上の規模であった。音と爆風が遅れてやって来た。実験は成功した。

 

この実験シーンは無音であった。劇場内も全くの無音で、誰もが固唾を呑んで見届けようとしているようだった。マダムの心拍数は爆上がりしていたと思う。怖かった。無音で爆発したのち爆音が響いたときは震えていたかも知れん。

ところが劇中では核実験の成功にオッペンハイマーをはじめ、登場人物全員喜んでいたのだ。ショックであった。

実験が成功したのである。科学者たちは喜ぶに決まっている。この時点でこの新爆弾がどこかに落とされることになるとは誰も思っちゃいない。オッペンハイマーは人類に対して実際に使用しようと思って作ったわけではない。彼は核が抑止力になると信じていたのだ。だから核実験の成功を喜んだ。ということを頭では分かっていたはずなのに成功を喜ぶシーンにショックを受けた自分自身がまたショックであった。

 

核は、科学者たちの手から離れ政府の管理下へ移る。ナチスより先にと急いだ核兵器開発は成功したが、ナチスは既に壊滅していた(欧州の第二次世界大戦終戦日は1945年5月7日)。では次のターゲットを決めなければならない。

日本への原爆投下で世界大戦は終結し米国は戦勝国となった。研究所では戦勝祝賀会が開かれ、その席でオッペンハイマーは演説する。その演説中に皮膚が剥がれていく人間を幻視する。叫び声を聞く。その叫び声はオッペンハイマー自身のものでもあろう。

 

原爆の父と称えられTIMEの表紙を飾ったオッペンハイマーは、47年に原子力委員会の委員長シュトラウスに招聘されてプリンストン高等研究所の所長に就任した。世は冷戦に突入し、仮想敵国はソ連であった。

そして54年、オッペンハイマーは聴聞会に呼ばれる。原子爆弾開発当時の交友関係についての確認である。元カノが共産党員だったとか、弟が共産党員だったとか、同僚に共産党員がいたとか、まあ主に「お前もアカだろう」という吊し上げである。これは赤狩りの一環であった。核兵器の成功に伴う国家への多大な貢献に関わらず、聴聞会はオッペンハイマーの忠誠心を問題にしていた。結果、オッペンハイマーは政府から見放されることとなった。オッペンハイマーはマッカーシズムの犠牲となったのである。

第二次世界大戦、ナチスの台頭、否応なく始まった核兵器競争、原子爆弾の成功。冷戦、国家、忠誠心。忠誠心?守秘義務が、いつしか国家への忠誠心にすり替えられている。すり替えられた忠誠心は安い正義を煽る。個人的な恨みを持つシュトラウスは正義を隠れ蓑にしてオッペンハイマーを陥れた。

 

ろろろろろろロバート・ダウニー・Jr???

 

科学の発達は人類に多大な影響を与える。それゆえ国家で管理すべき部分がある。コントロールを国家に託しざるを得ないのだ。科学者たちの手を離れた科学は怪物になりうる。オッペンハイマーを含む多くの科学者は理解している。だからこそ原爆より規模の大きい水爆の開発には反対の立場を取った。核の拡大には反対だった。

核を生み出してしまった自分を悔やむシーンがある。トルーマンと会談したとき「自分の手は血に染まってしまった」と吐露し、それに対してトルーマンは「原爆投下の責任は自分にある」と答える。

そう、国家の責任を最終的に負うのはアメリカであれば大統領だ。生み出してしまった科学者の責任ではない。だが生み出してしまった事実は消すことが出来ない。その事実にオッペンハイマーは苦悩している。トルーマンはオッペンハイマーの苦悩を分かち合おうとしたわけではない。それが大統領の責務だからだ。責任のありかを明確に伝えただけだ。科学者の苦悩は大統領には関係ない。科学も政治も、本来は冷徹なものなのだ。感情のつけ入る隙はない。

このシーンは重要だと思った。最も誠実で、最も白眉だと思った。

 

まったく素晴らしい作品であった。情報量多すぎに思えるがオッペンハイマーの生涯が分かりやすく凝縮されている。国家に言われるがままに開発したのではない。そこには個々の人生があり目的があり思惑があり問題があり、なにより科学者の矜持がある。それらが複雑に絡み合い、それぞれ問題を抱えながら実験を成功させる。皆抱き合って喜ぶ。それでいて反戦反核の作品に着地しているのである。なんという構成力であろうか。監督は明確なメッセージを込めている。

そして素晴らしさの一端を担っているのがオッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーであろう。

 

ダークナイトライジングの裁判官

 

キリアンといえばノーラン監督の常連であり各作品で重要な脇役を演じてきた。つまり秘蔵っ子である。その秘蔵っ子を当作品の主演に置いたと知ったとき、「監督、マジだな」と思って期待した。期待は裏切られなかった。そのうえアカデミー主演男優賞を獲った。

 

キリアンが嬉しそうで嬉しい

 

授賞式で「この賞を、平和を築く世界中のひとびとに捧げたい」というキリアンのスピーチは作品を端的に表していると思う。美しくさえある。

アカデミーは当作品に最大の賞を与えることにより、本来の意味での責務を果たしたと言えよう。

 

以下、蛇足である。当作品を批判するひとが少なからずいる。曰く原爆投下(実験含)で受けた被害を描写していない、というものである。いや、それは違うだろ。これは被爆の被害映画ではなく、人生を翻弄されたひとりの科学者を描いた作品なんだから。反戦反核作品に残酷な描写が必須ってーのは幻想なんだよ。それは一種の思考停止と同じじゃねえか。オッペンハイマーは残酷な描写を極力排除して、そこから先は個人の想像力に任せてんのが分かんねーのか。その想像力まで全部欲しがるのは止めにしてくれ。