チャンピオンまつり化するメリケンゴジラ ゴジラvsコング | 不思議戦隊★キンザザ

チャンピオンまつり化するメリケンゴジラ ゴジラvsコング

ゴジラVSコングを観てきた。ガッカリした。カタルシスがなかったからである。登場するのは我らが帝王ゴジラ、対するは守護神コング。と思っていたら、意外な敵が帝王と守護神の前に立ちはだかる。意外と言うより、どーしてお前がこんなときに登場するのだ?という唐突さである。

あまりにも期待以下だったのでなぜなのか検証したい。

 

 

モンスターの戦いによって壊滅的な被害を受けた地球。人類が各地の再建を計る中、特務機関モナークは未知の土地で危険な任務に挑み、巨大怪獣の故郷<ルーツ>の手がかりを掴もうとする。そんな中、ゴジラが深海の暗闇からその姿を現し、フロリダにあるハイテク企業エイペックス社を襲撃、世界を再び危機へと陥れていく。ゴジラの怒りの原因は何なのか。

人類になす術はないのか。エイペックスの研究員で故芹沢猪四郎博士の息子である芹沢蓮(小栗旬)の秘めた想いや目的とは?怪獣を取り巻く人間たちの思惑が錯綜する。ゴジラとコング、彼らは人類の味方か、人類の脅威か。自然界最強の力が激突する、地球の存亡を委ねた壮大な戦いが始まった。彼らはなぜ戦うのか————。

 

バトルはめっちゃある。なぜ戦うかって?そりゃお互いに敵同士だからだ。面識はないはずなのに(1962年のバトルを除けば)、彼らは出会ったときから敵なのだ。なぜならゴジラは自分より強い者を許さないし、コングは守護神なので故郷を守るためにゴジラに挑むのである。どちらも本能で行動している。という触れ込みだが、どう見ても人類が誘導している。というより制作側が丁寧にお膳立てして戦っていただくという風情である。

 


どつき漫才?

 

ゴジラの登場がショボい。お膳立てしたにも関わらずゴジラの登場がショボいとは一体どーゆー料簡であろうか。ゴジラは然るべきときに然るべき場所へ登場しなければならない。登場するときは威厳と畏怖で我々を圧倒させて欲しい。帝王が初めて姿を現すその瞬間を、我々は期待しているからだ。

しかし今作品ではゴジラファンの期待感を完全無視してゴジラを登場させてしまっている。髑髏島に監禁されているコング(まるで怪獣島に監禁された怪獣たちのようだ)の焦燥感と少女の触れ合い的なものを見せられたあと、なんの前触れもなくゴジラがどっかの研究所を襲うのである。

なんだコレ。威厳もなにもあったもんじゃねえ。ゴジラももっと考えて登場しろよ!帝王なんだから!

 


もっと参上感がほしい

 

もうそこからは違和感しかない。ゴジラとコングのバトルは避けられないだの、ゴジラが襲った巨大企業にはなにかあるだの、巨大企業の陰謀説だの、イルミナティがどーのこーの、地下空洞説がどーのこーの、その地下空洞がコングの故郷だの、全てセリフでご開陳という力業。しょっぱい。

 


コングの地下帝国にて

 

バトルは迫力あるが、相変わらずCGスゲーなってな感想しか沸いてこず、バトルに熱くなることはない。彼らは筋書き通りに動いているに過ぎないからである。そろそろここで一発バトルいれるか!という脚本が透けて見える。

 


コングの小道具が予定調和

 

「芹沢」という名に敬意を払っていない。劇中に芹沢レンなる人物が登場するので調べてみると芹沢猪四郎博士の息子ということである。おいおい、芹沢博士の息子がどーして敵側にいるんだよ!!!彼の人生がどーしてこんなことになったのか説明してくれ!しかし説明は一切なく、メカゴジラの操縦士という微妙な立場でなんの功績も残さず死ぬ。なんだコレ。こんな安っぽい登場人物に芹沢の名を使ってほしくない。

 


日本人俳優らしい

 

もうネタバレしちまったけど、冒頭で漏らした「意外な敵」はメカゴジラである。こいつが唐突に出てきやがり、しかもカッコ悪い。モンスターバースというコンテンツのメカゴジラをモデルにしているらしいが(いま調べた)、メカゴジラっつったら初代メカゴジラが普遍だろ!誰がなんと言おうと初代なんだよ!めっちゃキラキラ光るヤツだよ!

 


なんか違くね?

 

バトルシーンはどこかで見たことのあるようなシーンばかりである。特にカメラワークがデル・トロのパシフィック・リムっぽい。オリジナリティが見当たらない。

 


新鮮さ皆無

 

地下帝国にあるコングの玉座は前作「ゴジラKOTM」を踏襲したものだろうか。ゴジラが王宮を持ってるからコングにもこさえてやった感が否めない。

 


似合う(笑)

 

ラストバトルでコングがメカゴジラの首を引き千切る。うーーーーん、違うんだよな~~~。ここはゴジラだろ・・・。中途半端なオマージュはやめてくれ。

 


コングの勝利

 

怪獣映画のメインであるバトルもメリハリがない。お膳立てした筋書き通りだからだ。前作の「ゴジラKOTM」でも人類がお膳立てしたが、それは作戦の一部であり人為的に戦わせたとしても怪獣に対するリスペクトがあった。愛があった。それが今作品では微塵も感じられないのである。代わりに感じるのが「チャンピオンまつり臭」である。

 

チャンピオンまつり・・・。それは昭和の一時期、春夏冬に制作公開されたゴジラ作品群である。一年に3本という尋常ならざるハイペースで制作されたVS作品はチャンピオンまつり時代の遺産である。あまりにも考えなしに制作されたためゴジラの威厳と神性が失われ、当たり前だが興行収入がみるみる減収、次回作の予算も急激に減収、あの手この手で新機軸を打ち出そうとして息子のミニラを出してみたり(※1)、タッグマッチ戦にしてみたり(※2)、フキダシで会話させたり(※3)、いっそ突き抜けてアヴァンギャルドに着地したり(※4)、苦心の作を次々発表するが、とうとう力尽きて「メカゴジラの逆襲」を最後にしてまつりを終えた。

 

(※1)ゴジラの息子:ゴジラの育児っぷりが微笑ましい作品。スポンサーの関係で南の島の冷蔵庫の中身が全部バヤリース。

 


結構好き

 

(※2)ゴジラ対メガロ:タケモトピアノの例のダンスに影響を与えたとされる地底人の召喚ダンスはある意味必見。

 

めっちゃ駄作

 

(※3)地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン:ゴジラとアンギラスがフキダシで会話するシーンに東宝の無駄な努力を感じるトホホ作品。

 


いくらなんでもこれは酷い

 

(※4)ゴジラ対ヘドラ:怪獣映画にあるまじきアヴァンギャルド。シュヴァンクマイエルを超えたか?

 

結構好き

 

かようにチャンピオンまつり時代に駄作を量産、駄作の原因はプロットのマンネリ化によるやっつけ仕事、ゴジラもやっつけ仕事でなんの自主性も闘争本能もなく決まり通りに放射熱線を吐くだけだからである。ゴジラがサラリーマン化していたのだ。

 

今作のチャンピオンまつり臭はゴジラを単なる「巨大生物」としてしか描かなかったからであろう。そのせいだろうか、ゴジラがただのデカい怪獣にしか見えなかった。

2014年に初めてハリウッドゴジラを目にしたとき「太り過ぎ」という違和感を持ったが、そんな違和感はすぐにぶっ飛んだ。ゴジラをアニミズムの化身として描き、初代の神性をリスペクトしていたからだ。続いて2019年のゴジラは全ての演出をゴジラのために捧げていた。4大怪獣のバトルも見ものだが主役がゴジラであるという軸は絶対にブレず、テーマ曲を使う勘所は神がかっていた。前作2本でゴジラの体格など気にならなかった。

ところがどうだ、今作「ゴジラVSコング」では太り過ぎたゴジラの体形が気になって気になって仕方なかった。目に余る重量感といおうか、はっきり言うと邪魔なのである・・・・・。まさかゴジラ映画でゴジラを邪魔に思うとは自分でも驚きである。

 


ラストのゴジラはカッコ良かった

 

そこに浮上してきたのが「強さ(面白さ)=デカさ」という短絡的な思考で制作されたのではないかという疑惑である。大きいことは良いことだけど、大きいだけではダメなんだ。もちろん我々はゴジラのデカさに狂喜してきたし、堂々としたバトルに熱狂してきた。でも、それだけじゃないんだ。もっと熱くなれるなにかをゴジラに感じてきたんだ。

 

ゴジラはスピリチュアルな怪獣だ。だが今作品はゴジラをフィジカルにしか描いていない。ゴジラという怪獣の外見(太り過ぎだけど)をなぞっただけだ。それではただの人形に過ぎない。

 

たかが怪獣映画でうじうじこんなコメント漏らすのもアレだが、やはり今作品のゴジラに納得できない。っつーか、こんだけ文句ばっかりなのは、まあ、ゴジラが主役ではなかったからである。どー見てもコングが主役であった。ゴジラはコングの引き立て役だったのだ。だからゴジラはただの怪獣を演じていたのだ。そう考えると、非常に贅沢なゴジラの使い方であった。

日本よりカネが潤沢なハリウッドだからこそ、スゴイ作品を作るに違いないとマダムは無邪気にも信じていたが、カネがありゃあいいってもんでもないんだな。

次作のゴジラはもっとまつり化しているのだろうか。それならそれでいっそまつりを楽しもうと思う。