ごった煮格闘アクション 武闘拳 猛虎激殺! | 不思議戦隊★キンザザ

ごった煮格闘アクション 武闘拳 猛虎激殺!

まーたスゲー映画を観た。その名も

 


つよそう

 

メキシコで長らく修行をして日本に戻ってきた竜崎は武闘空手のリングに上がる。相手はチャンプの唐木である。試合は筋書きが決まっていた。ジムの力関係による八百長だ。竜崎が所属するジムは弱小、チャンプ唐木の吉羅本ジムは大手である。竜崎が本気を出せばチャンプに勝てる自身があった。竜崎は本気を出した。

 


なぜリング?

 

チャンプに勝利した竜崎は吉羅本からスカウトされる。大手ジムに移ればいまよりカネが稼げるだろう。しかし竜崎は断った。

 


カトーマスクの男が竜崎

 

竜崎はカネのために戦っているのではない。復讐のためだ。竜崎は海外で修行を積み、父親と兄を殺した犯人に復讐するため日本へ戻ってきたのである。さて、ではなぜ父親と兄は殺されたのか。

父親は海に沈んだ金塊を探していたトレジャーハンターであった。いきなり唐突過ぎる展開だが、トレジャーハントにどこの馬の骨ともつかぬ男ふたりを雇ってとうとう金塊を探し当てたのである。

 


刻印あるけど、ええんか?

 

トレジャーハンティング船とは思えぬ、どーみても個人の漁船上で祝杯を挙げていた最中、雇った男どもが裏切って父親と兄を殺したのだ。まだ子供だった竜崎は海に置き去りにされたのであった。

 


こんな船でトレジャーハント

 

そんな壮絶な過去を持つ竜崎は父親と兄の仇が吉羅本ということを知り、復讐の炎を更に燃やす。

 


竜崎役はドラゴン倉田

 

竜崎が復讐心を燃やして練習に没頭している頃、吉羅本のアジトではあらゆる格闘家が自由闊達に鍛錬しておりアジトの庭はごった煮だった。

 


有象無象のごった煮

 

吉羅本はそんなごった煮を眺めながら悠々としていた。ワケが分からぬ格闘家をこんだけ集めて悠々としている吉羅本は格闘家コレクターか何かか?

 


濃ゆい面々

 

ちなみに吉羅本のアジトは「奇厳城(きがんじょう)」という城である。ロケ地は熱海城とのこと。

 


城って住みにくいと思う

 

吉羅本がごった煮格闘家を眺めて悠々としている頃、竜崎に敗けてチャンプの座から落ちた唐木は吉羅本ジムをクビになって自暴自棄になっていた。

 


グラサン唐木

 

今日も今日とて飲み屋で暴れていると、ちょうど居合わせた竜崎に外へ連れ出され喝を入れられる。

 


殴り合って友情が芽生えるやつ

 

これで目の覚めた唐木、竜崎と仲間になって一緒に鍛錬することになる。敵と書いて「とも」と呼ぶ関係になったワケだ。忘れてたけどもうひとり仲間がいて、それが唐木の妹エリコのボーイフレンドの伊波である。

 


左から唐木(千葉真一の弟)、伊波(清水健太郎)、竜崎(ドラゴン)

 

役者は揃った。いや、あともうひとりいた。吉羅本の愛人ナオミである。ナオミは吉羅本の愛人をやっているけれども、実は竜崎の兄の彼女で、吉羅本は竜崎の兄を殺したあとナオミを手籠めにしたのであった。だもんだからナオミも愛人でありながら吉羅本を憎んでおり、竜崎の素性を知ってからはそれとなく竜崎を助けるのであった。

 


小暮シャケ彦に激似

 

唐木とエリコが吉羅本に拉致られたという知らせが入った。竜崎は奇巌城へ乗り込むが、ひとりの男に行方を阻まれる。どうやら竜崎とは因縁の関係らしい。ふたりは崖の上で対決し、竜崎が崖から落っこちる。

 


因縁対決

 

竜崎が崖から落ちたので死んだと確信した吉羅本は奇巌城で祝いの宴を開く。揃いも揃ってムサイ男どもばかりである。

 


タランティーノが喜びそう

 

ナオミがフラメンコギターに合わせてフラメンコを踊る。城内でフラメンコ。なぜ、と問うてはいけない。これが通なのである。吉羅本と格闘家どもは日本酒でフラメンコを楽しむのである。ところでフラメンコギターを弾いてるヤツは吉羅本の手下だろうか。プロを呼んだのだろうか。

 


これもタランティーノ好きそう

 

吉羅本どもが酒飲んでフラメンコ見て楽しんでいる間、拉致られていた唐木は牢を抜け出してエリコを助け出し逃げようとしていた。が、見つかって虎のエサにされてしまう。「虎のエサにされてしまう」とは剣呑だが吉羅本の飼っている人喰い虎なのである。好物は人間。名前はシーザー(本名)。

 


じゃれるシーザー

 

さて一方、崖から落ちて死んだと思われた竜崎はナオミに助けられて一命をとりとめていた。唐木は虎のエサになったしエリコは拉致られたままってんで弟子の伊波を連れて再度奇巌城へ乗り込む。

 


ここからが本番だ!

 

えーと、もしかして敵と戦いながら天守を登る?と思ったらやっぱりその通りだった!まさかの死亡遊戯が始まった!

 


雑魚を片付けて


ちゃっちゃと片付けて


竹槍に米俵を刺して攻撃してくる相撲取り

(意味がわかりません)


まーた因縁対決

 

あと一息!というところで虎登場!

 


はーい!僕、人喰い虎

 

どうみてもモノホンの虎。この時代にCGはないし、本当にモノホンの虎?と思うだろう?マジでモノホンの虎なんだ。しかも演じる役者にスタントは使っていない。マジで役者が虎と戦っておるのだ!スゲー!

 


ドラゴン危機一髪!


ドラゴンVS虎

 


がんばれドラゴン!

 

で、まあ虎もなんとか殺して

 


虎「寝転ぶの?これでいい?」

 

最後の敵は父親と兄の仇、吉羅本!いつの間に着替えたんだ吉羅本!さっきまでスーツだっただろ!

 


網シャツ着てやがる

 

しかも右手は鉄の爪をつけた義手!お前!いいのか!?ちゃんと許可取ってんのか?もしかしてパクr・・・いやなんでもない。

 


いろいろとパクr・・・いやなんでもない

 

互角の戦いを決したのはもちろん竜崎である。竜崎のドラゴンクローを喰らった吉羅本は金の延べ棒に覆いかぶさって息絶えた。

 


銀行に預けてないのかよ!

 

父親と兄の仇討ちを終え燃え盛る奇巌城を見下ろし、竜崎は何を思うのだろうか。

 


熱海城の役者魂

 

金の延べ棒はどうなったのだろうか。

 

―完―

 

思うことがたくさんあるのでひとつひとつ解説していこうと思う。とはいえ、どこから解説すればいいのか悩む。というか解説するほどマダムが格闘技および格闘技映画に詳しいわけではない。取っ散らかったままダラダラ書いていくが、間違っている部分があったら遠慮なく突っ込んでいただき正解を教えて欲しい。

 

武道アクション(Martial Arts Films)が人気になり始めたのは70年代以降である。武道アクションとは主に空手やクンフー、忍術(?)など東洋の武術を使ったアクションのことである。ムエタイなども武道アクションの範疇になろうか。

 

さて60年代のメリケンでは既に空手の認知度は高かった。第二次世界大戦後、日本で空手を習った米国軍人がコンバットスポーツとして軍に取り入れていたからである。更に大山倍達が「What is Karate?」という入門書を出版すると軍関係者のみならず、ハリウッド界隈のヒップな野郎どもの間でも空手がナウでスピリチュアルな自己鍛錬のひとつとして大人気、大流行。そこへブルース・リーが殴り込みをかけるように登場する。これが決定打だった。

 


みんな大好きブルース・リー

 

1973年に公開したブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」が世界的に成功し「武道アクション(格闘アクション)」というカテゴリーが誕生、不変となったのである。

さあ、ここから日本も香港もこぞって武道アクションを量産し始めた。ブルースを失った香港映画界はブルースのそっくりさんを集めて似たようなクンフー作品を量産し、日本映画界は千葉真一やら山下タダシやらの空手作品を量産した。主演する武道家は真の武道家でなければならない。

今作品は、そんな武道アクションが百花繚乱玉石混交した時代の一本である。

 


バックの青空が爽やか

 

主演は倉田保昭、別名ドラゴン倉田である。「Gメン75の香港シリーズ」で覚えている方が多いのではなかろうか。

 


マダムは全く覚えてない

 

倉田はもともと武道を嗜み香港の老舗映画会社ショウ・ブラザースで武者修行をした役者、派手なアクションは本場仕込みである(ブルースとも顔見知りであったらしい)。玉石混交の作品が百花繚乱する中、倉田はもちろん「玉」である。しかし悲しいかな、出来上がった作品は「石」なのであった。

ドラゴン倉田という「玉」を主演としながら、なにゆえ「石」に成らざるを得なかったのか。そりゃもう「パクリ」に決まっている。

竜崎がカトーマスクを装着していた時点で「おやおや」とは思ったんだ。元ネタはグリーンホーネットのブルースということは明白であろう。

 


カトーマスクのブルース(右)

 

それだけならまだしも、奇厳城に竜崎が忍び込んだときは「まさか」と思った。その「まさか」が的中するとは。

奇厳城の元ネタは言うまでもなくブルースの「死亡遊戯」である。五重塔を登って行き、各階に待ち構える格闘家と対戦するというアレである。それをまるっとやっちまったのである。

 


対戦アクションの原点

 

擁護するとすれば今作品の方が「死亡遊戯」より公開が早い。「武闘拳 猛虎激殺!」は1976年、「死亡遊戯」は1978年の公開である。じゃあパクリじゃないじゃん、と思ったひとはブルースの没年を確認してほしい。死亡遊戯の撮影は1972年の秋に始まっている。ということは原案は既にあったのだ。ところがクライマックスシーンを撮影しただけで中断したままブルースが亡くなった。死亡遊戯は未完成のまま宙に浮いていたのだ。

その隙をついたのが東映である。どっから情報を入手したのか分からんが、死亡遊戯を死亡遊戯たるものにしているオリジナリティを堂々とパクったのである。当時はまだ死亡遊戯は未完成でもちろん未公開だったので誰も何も問題にしなかったのであろう。

と無理やり納得していると見過ごせないアイテムが登場した。鉄の爪である。鉄の爪と言えば「燃えよドラゴン」の敵役、ハンの武器であることはこの世の法則といっても良い。ハンは鉄の爪でリーを傷つけ、傷から流れる血をリーが舐めるという、あの不朽の名シーンを生んだアイテムだ!それを!!

 


ハン親分

 

やってくれたな!と思った。これを当時劇場で鑑賞した客は一斉に心の中で突っ込んだのではあるまいか。

映画のみならず芸術全般にはオマージュが適用されることがある。リスペクトする作品の一部をさりげなく取り入れる手法である。しかし今作品はオマージュではなく安易にパクった感しかない。それでいいのか!?と問うても「仕方ないんじゃないかな」としか答えられない。だって出来上がりが所詮「石」なんだもん。

逆に言うと他作品にどれだけパクられようがブルース作品の足元にも及ばないっつーか、むしろブルース作品の盤石さを確信して安心して見ていられるというか。ってブルースの話ばっかりになってしまったけど、なんかもうブルース作品の偉大さを証明するために今作品は存在しているのかと思えるほどのパクリっぷりなのである。

 

こんだけパクってもブルース作品を超えることが出来ないのはやはり脚本の甘さであろうか。こういったアクションにリアリズムを求めるものではないが破綻し過ぎなのである。破綻というほどの筋書きでもないところが当時雨後の竹の子のごとく制作された有象無象アクションの程度であろうと思われる。それが「この程度の武道アクション」の味わいといえば味わいか。

例えば冒頭のメキシコ修行シーン。どーみてもアジア人のモブにポンチョを着せて無理やりメキシコとするところとか、奇巌城の和洋折衷感、城でフラメンコ、意味不明な奇巌城の格闘家ども、唐突なトレジャーハント、拉致られた唐木への微妙な拷問、拉致られて円形に並べた蝋燭の中心に監禁されるエリコなどなど。

 


魔王とか召喚するやつ?

 

今作品の売りでもあるモノホンの虎との格闘。マス大山の牛殺しに対抗してる感は否めないが、スゴイっちゃスゴイ。

 


くんずほぐれつ

 

今作品の「石」感は、主に吉羅本の存在意義が不明であることに帰結する。竜崎の活躍がまず先にあり、竜崎を活躍させるために吉羅本以下有象無象を配置したのであろう。敵は主人公と同じくらい大切なのに。

でもまあ、とりあえず面白そうなものを全部詰め込みました!つじつまとかは無視してます!武道アクションに警察機関など存在しません!という開き直ったごった煮感はある。このごった煮が武道アクション黎明期の無秩序な推進力を垣間見るようで微笑ましい作品であった。