ナポレオン・フーシェ・タレーラン 情念戦争 | 不思議戦隊★キンザザ

ナポレオン・フーシェ・タレーラン 情念戦争

ナポレオン・フーシェ・タレーラン 情念戦争

鹿島茂

講談社学術文庫

 

 

フランス革命からナポレオンの没落まで、同時代を生きてフランスの歴史を左右した三人を絡めた評伝。もちろん銘々で独立した伝記も歴史書もたくさんあるが、三人まとめて同じ熱量で話が進むので非常に分かりやすい。

ただ分かりやすいだけではなく、シャルル・フーリエのトンデモ思想「情念引力の理論」を当てはめ、ナポレオンを熱狂情念、フーシェを陰謀情念、タレーランを移り気情念とするところなどさすが鹿島先生である。

まあ、情念云々の部分は鹿島先生の遊び心に過ぎないが、情念を加味することによって、より臨場感が溢れ人間性が露わになるのである。鹿島先生面目躍如である。

 

※シャルル・フーリエ:空想的社会主義者(エンゲルスが勝手に命名)。社会主義に「空想」という枕詞が付随するのがポイントで、基本は社会主義なのだが、動力として「情念引力」を必要とする。つまり、情念を中心にして社会を構築して動かせば世界は平和になるというのである。ネガティブな情念は社会をマイナスにするので、ポジティブな情念だけを抽出して社会を良くしよう!ということである。

ただし情念は十人十色、誰もが同じ情念を持っているわけではないのでそのひとの情念に合致する仕事を与えなければならない。そして情念社会では情念の最も強い人間こそが、徳が高いとされる。
ではどのような人間が最も徳の高い情念を持っているのかというと、娼婦である。娼婦は愛にあふれ他人を喜ばせるからである。社会全体を愛で動かせば、空気から食物を取り出すことが出来るし、飛ぶことも出来るし、惑星間移動も夢ではないのである。ってなことをクソ真面目にアジっていた19世紀初頭の狂人。嫌いじゃないぜ。

 

革命から共和制、そして総裁政府を経て帝政まで、この時代がいかにダイナミックであったのかと改めて瞠目する。こんな時代だからこそ、アクの強い人物が活躍出来たともいえる。特に僧籍でありながら革命を支持し、エリート外交員として八面六臂の活躍を見せるタレーランが群を抜いている。

戦争狂ナポレオンの手綱を握りつつ欧州のバランスを常に考える現実主義者タレーランの最終目標は、欧州全体の平和であった。平和構築に苦心するのは「平和の方が自由経済で儲かるから」という人間味ある理由であるところに好感を持つ。

 

ナポレオンは元気いっぱいに破竹の勢いで欧州の地図を塗り替えた若い頃と、ロシアで大敗してからの晩年の落差が切ない。戦争狂ではあったが堂々として人心を掴む演説が出来るところなど、やはり才能はずば抜けていたと言わざるを得ない。しかし苦境になればなるほどのめり込んでしまう性格が、ナポレオン自身を崩壊させたと思われる。

 

フーシェはいまいちよく分からない。ツヴァイクの「フーシェ」を読んでも良く分からない。フーシェに確固とした信念も目的も見えないからだろうか。信念も目的もないくせにうまく波に乗って、革命からずっと重要ポジションを確保していた人物なのでそれなりの実力も持っているのだろうが「それでもよく分からない」というところがなんとなく不気味。
フーシェについてはこれからの研究でもっとはっきりした人物像が現れるかもしれない。案外「いいひと」だったりして。
それはそれでなんかイヤだ。

 

ってな感じで、これからは短めの軽い感想文もちょこちょこアップしてみようと思う。