ポジティブな諸行無常 この世界の片隅に | 不思議戦隊★キンザザ

ポジティブな諸行無常 この世界の片隅に

じわじわと上映館数を増やした「この世界の片隅に」。これが思いがけないダークホースであった。あちこちで話題になってる(はず)なので粗筋はサクッとコピペ。

昭和19年、18歳の少女・すず(声:のん)は生まれ故郷の広島市江波を離れ、日本一の軍港のある街・呉に嫁いできた。戦争が進み様々な物が不足していく中、すずは工夫をこらして食事を作っていく。やがて日本海軍の根拠地であるため呉は何度も空襲に遭い、いつも庭先から眺めていた軍艦が燃え、街は破壊され灰燼に帰していく。すずが大切に思っていた身近なものたちが奪われていくが、日々の営みは続く。そして昭和20年の夏を迎え・・・。
(Movie Walkerより)


マダムは戦争を主題にした邦画が嫌いである。何が嫌いって遠慮なく押しまくってくる被害者意識がたまらなく嫌だ。戦争一色なのが嫌だ。最初から着地点が決まっているのが嫌だ。
日本の戦争映画は臭い。生臭くてとても観れたもんじゃない。マダムは「男たちの大和」も駄目だった。右も左も関係なく、戦争を語るのであれば冷静で冷徹な視線が必要だ。
そんな日本戦争映画の中でも異色の出来なのが岡本喜八の「日本のいちばん長い日」である。行き過ぎた狂気を絶妙な匙加減でコミカルに描いた作品は、日本戦争映画の金字塔であろう。或いは加東大介主演の「南の島に雪が降る」。しかしこちらは映画よりやはり原作の手記の方が断然いい。映画はちょっと臭い。

さて、そんな日本戦争映画史の中でも天才岡本喜八の「日本でいちばん長い日」に匹敵する、否、それを超えてしまったかも知れない日本戦争映画が誕生した。映画っつーか、原作が漫画のアニメなんだけど。それが「この世界の片隅に」である。
 
マジ見てよかった!

流行ってんなーってことは知ってた。戦争を描いている作品であるということは、ひとづてに聞いた。戦争映画のアニメ作品。ぜってーみねーぞ、とマダムは思った。騙されるもんか、と思った。そんなところへ勤務先の映画部メンバーがふたりも「マジ最高傑作」と言いだし、おうちではムッシューが「見たい」と言いだした。
えー?見たいの?だってこれアニメだよ?戦争映画らしいよ?絶対ムカつくって。映画は娯楽だよ?暗い気持ちになるために映画見るなんて絶対イヤだよ。日本の戦争映画なんてたがか知れてるじゃん。所詮、左翼風味のポエム映画に決まってら。と心の底から思ったけどムッシューには言えず、黙って一緒に観た。

とんでもなかった。

「この世界の片隅に」は戦争映画などではなかった。戦時中を生きるひとびとの群像劇であった。戦時中にもいろんなひとがいて、それぞれの生活があったということを、改めて思い知らせてくれる映画であった。
主人公のすずを中心にして、登場人物のすべてのひとが生き生きと戦時を生きていた。戦時中であるから、空襲警報が鳴ったら火を消して声だし確認するとか、庭に防空壕を掘るとか、配給に並ぶとか、千人針を縫うとか、そういった当時の日常が思想的思惑に全く染められずに描かれていることに瞠目した。
まあ、ちょっと考えれば分かるのだが、普通のひとの普通の生活というものはそれが本当であろう。とにかく全てが良かった。それを順番に説明していこうと思う。
 
そうそう、昔のおくどさんは土間だったんだよ

まず画が良い。ほんわりとした輪郭、明度の高い色遣いが良い。雰囲気が「ほわわん」としているので背景も「ほわわん」と見えるが、何つーか、ものすごく繊細に感じる。キャメラワークもアニメらしくない気がする(あんまりアニメを見ないのでよく分かんないけど)。
広島弁もいい。声優さんは広島出身ではないそうだが、広島県人が聞いてもちゃんとした広島弁であった。江波、草津、海田、呉といった地名が出てくるのが良い。そりゃ呉近辺の話なんだから当たり前だけど、でも、やっぱり懐かしい気持ちになるんだ。っつってもマダムは山奥の秘境出身だがな。
 
こちらは漫画ですが

時間の流れ方が良い。何が起こるわけでもない毎日を、丁寧に追っているのが良い。たいした事件はないけど、日常の中で兵隊さんを見送ったり、竹やりの練習をしたり、里帰りしたり、憲兵さんに怒られたりする。そうやって日を重ねるうち、徐々に8月4日に近づいていく。
我々観客は「その日に起こったこと」を知っている。戦時とはいえ穏やかな日々が、一体どういった形で奪われるのであろか。「その瞬間」が、どのように描写されているのだろうか。恐い。
と思っていたら、原子爆弾が破裂する前に不発弾が破裂してしまった。この爆発に小さな女の子が巻き込まれて亡くなる。すずは右腕を失くす。それでも映画は淡々と進む。まるで現実がそうであるように。
 
ここから泣きっぱなし

ところどころに挿入されるファンタジックなシーンも良い。幻想と現実の境目があやふやだが、それが空想好きなすずの心情を垣間見せてくれているようで良い。例えば、人さらいに攫われる始まりとか、海の飛沫が白い兎だったりとか、空中で爆発するミサイルがカラフルだったりとか、軍艦青葉が空へ浮かび上がるとかである。
青葉はレイテ沖で大打撃を受け呉港に戻ったものの、修理の見込みが立たずしばらく係留されていた。そしてそのまま、大空襲を受けて沈んでしまった艦である。その沈むはずの艦を、美しい夕焼けを背景に天へ向かって浮かび上がらせるシーンに胸を突かれた。
 
この青葉がお空へ上るのですよ

広島に新型爆弾が落ちた。日本は降伏した。連合軍が上陸してきた。状況が様変わりした。生き残ったひとびとはまた同じように日々を過ごしていく。

一度だけ、すずが感情的になるシーンがある。玉音放送を聞いたときである。日本の無条件降伏という無残な結果を知ったすずは、「私が失ったのは右手だけ。まだ左手もあるし両足もある。まだ、戦える」と言って激昂する。でも本当は、そんなことは思ってないはずだ。
 
それは果たして正義だったのだろうか

昨日まで戦意高揚を煽っていたくせに、なぜ降伏する?広島市内にいた家族が、なぜ見つからない?なぜ兄の遺骨が石なのだ?なぜ私は右手を失わなければならなかった?なぜ、はるみちゃんが不発弾で死なねばならなかった?海軍に入隊した同級生の兄、前線に駆り出されたすずの兄、旗を振って見送った近所の青年。なぜみんな戻ってこない。
そしてなぜ、自分は生きている・・・・。何も知らないまま、あのとき死ねばよかった。ありとあらゆる思いが、堰を切ったように溢れ出す。
 
責める相手のいない悔しさと、自分自身の悔しさと

瓦礫となった広島では、必ず誰かが誰かを探していた。すずは夫の周作さんを待っていた。たくさんひとが死んで、日本は負けて、広島もこんなになって、でもこうやって周作さんを待っていることが奇跡のように思えてきた。すずの居場所なんて、広い世界の片隅に過ぎないのに。

さて、このアニメには原作がある。こうの史代の「この世界の片隅で」である。映画があまりにも素晴らしかったので、この作家のファンだという同僚のジンさんに漫画を借りて読んだ。驚くべきことに映画は原作に忠実だった。ただし割愛されたエピソードもある。まあ、それは監督の判断だろう。尺もあるし。
 
たった3冊なのに濃厚
 
リンさんの驚愕エピソード
 
劇中では戦時のちょっとした工夫が紹介されていたが、漫画は当時の生活の知恵から文化的、地理的、社会的な情報が詳細に記されている。これがマジで面白い!呉海軍工廠の歴史、広島から呉までの路線図(これはあんまり変わってないけど)、すずが輿入れしたときのごちそう、広島湾での海苔養殖の歴史、着物をもんぺに仕立てるリサイクル、愛國いろはカルタなどなど、かなり綿密な事前調査を行ったであろうことが偲ばれる。ちょっとしたエピソードも第一級資料を参照されているのだろう。
 
呉軍港案内
 
愛國いろはカルタ
 
たとえば国民学校の講演会チラシに「貯蓄ノススメ」と載っている。日本は貯蓄率がそこそこ高いといわれるが(マダムはそうでもない)、この貯蓄率の高さは戦時下に政府が国民に貯蓄を奨励したのが始まりだ。政府の貯蓄政策は日本国内にとどまらず、占領下のインドネシアでもインドネシア人相手に貯蓄の大切さを訴え(あと、保険も)、インドネシア人を主役にした「貯蓄生活のすすめ」的なプロパガンダフィルム(?)まで制作する始末であった。占領した土地のジモティーに貯蓄を奨め、もしそれが抵抗運動の資金になる可能性とか考えなかったのだろうか。考えなかったんだろうな・・・。
ってな感じで、インドネシアの貯蓄事情は全然関係ないけど、泣きながら漫画を読み読み感心することしきりであった。この漫画こそ第一級資料に成り得るほどのレベルの高さである。

日本が負けて、軍隊も解体された。軍部に勤めていた周作さんは自動的に無職になった。そこで周作さんはすずと一緒に広島市内へ仕事探しに出掛ける。なんとか仕事がみつかり、ほっとして休憩所で粗末な弁当を食べているときであった。ちいさな女の子が、すずを見つけた。
女の子はみすぼらしく汚く、何日も食べていないと見え顔色も悪くガリガリであった。この戦争で孤児になったのであろう。女の子はすずが落とした小さなおにぎりを拾って食べ、すずに身体を預けて眠ってしまう。すずは女の子の細い肩を撫でながらつぶやく。

「よう広島で生きとってくれんさったね」

標準語に訳すと「よくぞ広島で生きていてくださいました」という意味である。「よく生きてたね」という驚きではなく「よく生きていられたね」という憐憫でもない。では何か。慈しみである。
まだ瓦礫が残る広島の片隅ですずが発した言葉には、この世界をまるごと慈しむ感情が満ちている。
 
ここでまたマジ泣き

すずは敗戦を知ったとき「何も知らないまま、あのとき死ねばよかった」と口にだして泣いた。しかし、あのとき死んでいたら、この小さな出会いもなかった。誰かを慈しむこともなかった。理屈抜きで誰かを慈しむことが出来る自分自身にも気付かなかったであろう。
すずと周作さんは、小さな女の子を連れて家路についた。
 
ずっと続く道

このラストシーンで、いま我々が生きている現代がすずの生きていた時代と確実につながっていると思った。我々は小さな女の子なのだ。
我々はすずの慈しみを糧にして育ち、そして誰かを愛おしむ。
もしかしたら、ものすごく普通のことかもしれない。その普通が、とんでもなく尊いのかもしれない。



↓↓↓こちらの記事もどうぞ↓↓↓
怪物戦艦武蔵 
麗しき想い出の女たち 
元軍人の職人アート 上田毅八郎