自我の迷宮 嗤う分身
世の中には道端の石コロにも劣る人間がいる。自分に自信がなく、言いたいことが言えず、いつもひとの目を気にしている。自己主張も満足に出来ず、そのくせ常に誰かを妬み、友達が少ない。口から出るのは愚痴ばかり。
サイズの合ってないジャケットを着て、誰も自分を理解してくれないと恨み節を漏らすが、自分から他人を理解しようとはしない。そして自分は運が悪いと嘆く。
サイモン・ジェームズも、そんな人間だった。
朝、サイモンはいつものように地下鉄で通勤していた。隅の座席に座っていると、不意に誰かが目の前に立ち「そこは俺の席だ。移動してくれ」と言う。え?ここは地下鉄だよ?っつか、他の席が空いてんじゃん、そっちに座れよ。などとは言えず、サイモンは面食らったまま席を立った。移動しろといった人物は感謝の言葉を述べるでもなく、さもさも当たり前のように先ほどまでサイモンが座っていた席へ座る。
サイモンは辺りを見回す。電車内には自分と男のふたりしかいない。くそう。僕をわざわざ立たせるなんてとんだ侮辱だ!僕が気弱そうに見えたから(実際気弱い)嫌がらせをしたんだな。きっとそうに違いない。くそう。ふざけてやがる。と、普通だったら文句のひとつも言い捨てるのだろうが、もちろんサイモンはそんなこと出来ない。うつむいたまま電車に揺られている。
電車が目的地に到着した。降りようとすると、駅員たちが乗降口を塞ぎなにやら荷物を電車内に運び入れている。駅員と荷物が邪魔をしてサイモンは降りられない。焦って降りようとする僕を見て駅員たちが笑う。悪夢のようだ。
なんだかんだでやっと会社に辿り着いたが、今度は会社の入口で引っ掛かってしまう。なぜなら社員証を持ってないからだ。なぜ持ってないかというと、社員証が入ったカバンごと電車のドアに挟まれ、取り返せないまま電車が発進してしまったからだ。ってなことを守衛に説明したが無駄だった。
僕はこの会社に勤めて7年だ。7年間の間、ずっとここを通ってたことは守衛も知ってるはずだ!昨日だって僕は通った。それなのに守衛は、初めて僕を見るような目つきで見やがって!バカにしている!サイモンは憤ったが強く文句を言う度胸もないので、入館するための書類に大人しく署名した。
僕はいつもこうだ。エレベーターに乗ればドアが異常作動するし、コピーを取ろうと思えばコピー機が壊れる。カフェに入って注文しても、いつも僕だけ間違ったものが出される。誰も僕のことを認識してくれない。どうせ僕なんて、道端の石コロより劣った人間なんだ。くそう。
道端の石コロより劣った人間なんていない。いるとすれば、そう思い込んでいる本人だけだ。
そんなサイモンの楽しみといえば、アパートから望遠鏡で好きな女の部屋を覗き見ることだ。そのためにサイモンは今のアパートに引っ越してきたのだ。
コピー室担当の君。金髪のボブの似合うハナ。そう思いながら今夜も覗き見に精を出すサイモンであった。
ところが。ハナの上の部屋に住む男が飛び降り自殺をする。サイモンが望遠鏡で男を見つけたとき、飛び降りる寸前の男がサイモンに手を振ったように見えた。
警察に連絡したのはサイモンだ。すぐに自殺課の刑事がふたり連れでやってきた。サイモンは男が飛び降りたときのことを説明したが、飛び降りる直前に男が手を振ったことは黙っていた。自殺した男は、ほぼ即死ということだ。
「あんたも自殺しそうな顔してるぜ」と、刑事がサイモンに言った。不吉な予言のようだった。
サイモンは相変わらず会社に入るときは入館書類に署名し、ちゃんと仕事をしているにもかかわらず「仕事しろ」と上司に言われ、カフェでは注文を間違えられるような日常を送っていた。そんなある日、新入社員が入ってきた。そいつを見てサイモンは驚く。
なぜなら、サイモンと瓜二つだったからだ!外見が似ているだけならともかく、新入社員の名前は「ジェームズ・サイモン」であった。
しかし驚いているのはサイモンひとりだけであって、他の同僚たや上司などは特に驚いている様子もない。これだけ僕にそっくりなのに、なぜ誰も気付かないんだろう?
新しく入ったジェームズは、サイモンとは正反対の性格だった。上司にもハッキリとものを言い、時にはゴマをすり、誰にでも話しかけ冗談を飛ばす。仕事はサイモンほど出来ないが、要領よく世間を渡っていく術に長けているので仕事が出来ないことは重要ではない。
ジェームズの出現で、サイモンの悪夢は益々深くなっていく。サイモンはジェームズに利用され、そのうちサイモンとジェームスの境界線があやふやになっていく。
このままではいけない。このままでは、僕が消滅してしまう。だけど僕はジェームスを抑えるなんてことは出来ない。なぜこんなことに?そもそもあいつは、何処からやって来たんだ?あいつの目的は何だ?
部屋に帰ったらママが入院している施設から留守電が入っていた。ママが死んだという知らせだ。
えっ?ママが死んだ?葬儀は?えっ?今日?もう葬儀は始まってるって?大変だ!早く出掛けなくちゃ。既に日が暮れているにもかかわらず、サイモンは部屋を飛び出した。
教会裏の墓地に辿り着いたサイモンは、参列者の中にジェームズがいることに驚く。なぜ?なぜあいつがここに?僕のママの葬儀にあいつは関係ないだろう?それなのに僕の振りをして我が物顔で参列してやがる!あいつは僕から何もかも奪うつもりなんだ!
サイモンはジェームスに近づくなり、いきなり殴りかかった。顔面を投打されたジェームズは、真っ赤な鼻血を滴らせながら地面に倒れこむ。鼻血を流すジェームズを立ったまま睨み付けているサイモンだったが、ふと自分の顔面に異様な感触を感じとった。指を当ててみると、サイモンもジェームズ同様、鼻血を流していたのだ。
気が付いたら朝だった。サイモンは墓地でそのまま気を失っていたらしい。昨夜の参列者はサイモンを置いて帰ったのだろうか。墓地にはサイモンだけが残されていた。鼻血は止まっている。それにしても、とサイモンは思った。
ジェームズを殴ったのに僕が鼻血を流すのはおかしくないか?あまりにも興奮しすぎていたのだろうか。あいつが僕の前に現れてから、不可解なことが多すぎる。あいつにとって僕は一体何なんだ?そして僕は・・・・。
サイモンは首を吊ろうと思った。それが一番良い解決法のような気がした。明るい午後、それはとても魅力的な思いつきのように思われた。
窓辺で首を吊る準備をしていたサイモンは、向かいのアパルトマンでぐったりしているハナを見つけた。手には睡眠薬の瓶が握られていた。
サイモンは病院でハナの容態を知る。命に別状はなかったが、彼女は妊娠していた。相手はもちろん、ジェームズだ。
悪夢はまだ終わらない。そう、ジェームズがいる限り。サイモンは直観する。あいつは、僕だ。
サイモンは眠っているジェームズをベッドに縛り付け、手錠をかけた。これは、賭けだ。サイモンは窓から飛び降りた。
グシャリと僕が壊れる。でもまだ意識はある。どこかで見かけた二人組が笑いながら僕を見ている。ああ、あのときの刑事だ。確か、自殺課の。刑事の表情は「ほらな、俺が言った通りになっただろ?」とでも言っているようだ。こんなことを考えられているということは、僕はまだ生きているのだろうか。
サイモンが救急車に乗せられた頃、ジェームズはベッドに縛り付けられたまま、頭から血を流していた。
-完-
原作はドストエフスキーの「ドッペルゲンガー」。タイトルでネタバレしているが、まあ、大変奇妙な映画であった。
まず映画全体を覆う雰囲気が独特なのである。薄暗い地下鉄、無機質なビル、黄色い電燈が灯ったオフィス、でかい装置が据えられたコピー室、武骨なエレベーター。いうなれば、共産圏のスチームパンクといったところか。そこへ日本の昭和歌謡が流れたりして、無国籍的共産圏風スチームパンクのカオス加減にますます磨きがかかる。
このカオスっぷりはサイモンの不安定な内面を表しているのだろう。物語はほぼ屋内で進むが、オフィスには窓らしきものがなく、灯っている電燈はむやみに黄色い。屋内描写の閉塞感は、サイモンが感じている閉塞感だ。
不協和音をまき散らしながら走る地下鉄、赤く点滅するエレベーター、壊れたコピー機、ガリガリと鳴るラジオ。サイモンはそういった無機物にさえ拒否されているような錯覚に陥り、不安を高めていく。
ジェームズが現れてからはトンネルの描写が多くなる。サイモンの精神が出口を探している。ジェームスはサイモンのイドの怪物(無意識中に潜む本能的エネルギー)である。自分の欲望を抑圧することによりイドの怪物は肥大し、とうとうジェームズという物質的自我を生み出してしまったのだ。
しかしジェームズという自らのスーパーエゴをサイモン自身が制御できず、事態は悪くなるばかりだ。
サイモンは叫ぶ。「僕はここにいる!」と。しかしその叫びは決して誰にも届かない。
そのうち、どちらがサイモンでどちらがジェームズなのか分からなくなってくる。サイモンの錯乱が観客にも伝播する。
ずっと暗い画面で進んできた物語に、突然自然光が入り込んでくる。サイモンが自殺を決めたときだ。このときだけサイモンの精神がクリアになったのだろう。
ジェームズが存在する原因が自分であると気付いたサイモンは、分裂した自分を始末するため飛び降りる。
そして飛び降りる直前のサイモンは、ジェームズにそっくりなのだ。
と、いろいろ説明してみたものの、よく分からないといえば分らない映画であった。特に面白いというわけでもなく、原作を読んだことがないので本当はどういった話なのかも知らない。
それでも1800円払って見たのは、主役のジェシー・アイゼンバーグ君目当てであった。変な映画だったけど、ジェシー君を堪能できたからいいか。
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