バッドボーイズ・フォーエバー | 不思議戦隊★キンザザ

バッドボーイズ・フォーエバー

プロレスと聞いて、あなたは何を思うだろうか?
「八百長」「流血」「プロレス中継を見た老人がショック死」「シナリオ付きのショウ」「うさん臭い」「牛殺し、マス大山」「馬場の赤パン」。だいたいのところ、こんなものであろう。おっと大変、猪木を忘れていた。ボンバイエボンバイエ。


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猪木と馬場の夢のタッグ、BI砲


常識的な我々が持つプロレスのイメージは、どちらかというとネガティブである。そして少なからずバカにしている。
例えば、プロレス好きを憚ることなく公言する大人をちょっと見下してしまう、というか、「不憫なひとだなあ」と、勝手に憐れんでしまうのである。良い趣味だとは絶対に思わない。

これがもし「サッカーが好きなんですよ」や「テニスが好きですね。見るのも好きですが自分もプレイします」などであれば、社会的地位も肩書も脅かされることはない。ところが「プロレスが好きでねえ~」と告白した途端、まわりの同僚たちからは白い目で見られ、上司は眉間に皺を寄せ、エリートコースは断たれてしまうだろう。それほどまでに「プロレス」は異端なのだ。


なぜ異端なのか?それは「プロレスは、スポーツではない」からだ。これこそが、他の競技との決定的な違いである。
プロレスにはシュートという隠語がある。真剣勝負という意味だ。スポーツはそもそも真剣勝負が前提なのだから、このような隠語を持っているという事実こそ、うさん臭さの証明だ。スポーツマンシップの欠片さえ見当たりそうにない。
なのに、なぜ、プロレスおよびプロレスに熱中する愚か者どもが存在し続けるのであろう。


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なんでこんなもの読んじまったんだろう


「みんなのプロレス」を読んだ。昭和時代のレジェンド、海外のレスラー、日本のレスラー、メジャーからインディまで、ものすごくたくさんのレスラーについての集大成である。集大成とはいうものの、ただの人物紹介で終わらない。これは、全てのレスラーに捧げられたラヴレターなのだ。
著者である斎藤文彦氏の、気負いなく、まるで大切な友人を語るかのような文章が良い。そうだ、彼らは友人なのだ。リング上のスーパーヒーローは、熱狂するファンたちの憧れであり、同時に友人でもある。


・・・勝ちの中には勝って当たり前の「勝ち」もあれば、対戦相手やシチュエーションのおかげでなんとなく勝たせてもらうような「勝ち」もある。「負け」には実力どおりの「負け」もあるし、「勝ち」よりもずっとカッコいい「負け」だってある。(中略)試合に勝った方が必ずしもほんとうの勝利者とは限らないし、負けた方が勝った方よりも具体的に何かが劣っているとも限らない。

(序文)


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オールドスクール・バッドボーイズ、さあ誰でしょう?

子供の頃に憧れたスーパースター、プロレス史を飾る名勝負、記録を残すレスラー、記憶に残るレスラー、現役時代のプレッシャー、引退後の孤独。
八百長といえども、プロレスは危険なエンターテインメントだ。しかし実力と技次第で、昨日まで無名だった若者が今日こそスーパースターになるかもしれないし、今日のスーパースターが明日には過去の人になるかもしれない。
ショウビジネスの世界は常に、ハードでシリアスだ。自分の肉体だけが商品のレスラーは、ある日突然、リングから去らざるを得ないこともある。人気レスラーであれば、引退試合を華々しく行うこともあるだろう。しかし、さほどの人気のないワン・オブ・ゼムがリング上から消え去っても、誰も気にしちゃくれない。代わりなんていくらでもいる。
それでも、きっと誰かが覚えてくれている。かつてリング上で戦っていた自分を、スポットライトの中にいた自分を覚えてくれている少年が、世界のどこかにきっといるんだ。


少年は、もちろんスーパースターが大好きだ。強くてクールなベビーフェイス(善玉)は、いつの時代も少年たちの憧れだ。でも、彼の心に最も焼き付いているのは、小さな田舎をサーキットしている無名のレスラーなんだ。筋肉の塊のような肉体は若々しく、見ていてハラハラする荒削りな技を仕掛ける。
シナリオ通りの試合運びでも、レスラーの目はいつだってシュートだ。プロレス好きな少年のピュアなハートのように。


中島らもの短編小説「お父さんのバックドロップ」は、プロレス小説の金字塔である。子供用学習雑誌に掲載されたので、子供用に執筆されたはずの小説なのだが、なんといい年をこいた親父どもが号泣したという逸話を持つ(マダムも泣いた)。プロレスを知らなくてもすんなり読めて、目頭が熱くなること受け合い。


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本当にオススメ


映画「レスラー」もいい。落ちぶれた元スーパースター、ランディ役を、ミッキー・ロークが演じたことでも話題になった。

ランディは80年代に大人気のレスラーだった。それが今ではスーパーでバイトしながら、やっとプロレスを続ける毎日。なぜそこまでプロレスにしがみつくのか?ランディは悩む。もう一度、華やかなリングに上がって昔の俺を取り戻したい。だけど年齢と体力がそれを許さない。長年使用したステロイド剤は、ランディの身体を蝕んでいる。もうプロレスには見切りをつけて、新しい生活を始めたほうがいいのかも知れないな。


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いろいろ痛い映画


だが新しい生活といっても、ランディはプロレスしか知らなかった。プロレスの中でしか生きてこなかった。
プロレスしかやったことのない男が、他に何が出来る?会社員?セールスマン?ウェイター?この俺が?


ガンズの活躍した80年代は最高だったぜ。それが90年代になったらニルヴァナのせいでグランジ大流行。グランジなんてスキゾの音楽じゃねえか。俺は80年代のゴージャスなロックが好きなんだ。なんたって俺は、ランディ“ザ・ラム”ロビンソンだからな!


そんなランディのもとに、試合のオファーがくる。名勝負といわれたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合だ。これは最後のチャンスだ。俺がザ・ラムとして復活出来る最後のチャンスなんだ。あの試合は伝説になってるし、俺の登場で熱狂するファンもいるに違いない。もう一度メジャーなリングで、もう一度、あの歓声を聞ければ・・・・。それが出来れば俺は・・・・。


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ラスト・シーンが素晴らしい

映画の中で、ランディを含めた「元スーパースターズ」がサイン会を開くシーンがある。自分たちで会場の準備をし、椅子に座ってファンを待つ。が、訪れるファンはそれほど多くない。見ていて胸が苦しくなるシーンである。
最初にプロレス好きを公言する大人を「不憫」だと書いたが、不憫と思ってしまう原因はコレだ。
プロレスしか出来ない男たち。プロレスに生きて、プロレスなしでは生きていけない男たち。生きるのに不器用な男たち。


もうおさらばしようと思って、深い穴を掘ってそのなかにプロレスを埋めた。どこに埋めたのか忘れてしまえば良かったけれど、宝物を埋めた場所を忘れるはずがない。どうしても我慢できなくなると、テリーは裏庭の土を掘り返し、ボロボロになったプロレスを拾い上げて、抱きしめた。

(レジェンドたちのプロレス語:テリー・ファンク)


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優しそうですねえ


プロレスはスポーツなんかじゃない。リング上で戦う男たちの真剣な眼差しと心意気、驚きと喜び、爽快感と切なさ、一生を掛けた大博打をナマで見せてくれる生きた哲学なのである。


タッグマッチでしか当たったことはないけれど、三沢光晴のエルボーを喰らった瞬間、脳みそがぶっ飛ぶような衝撃をおぼえて気を失いそうになった。それまでさんざんバカにしたり、足蹴にしたり、顔を踏んづけたりして三沢をなんとか怒らせておいただけの甲斐はあった。

新日本育ちの鈴木は、ストンピングをしないプロレス、倒れた相手を蹴るという行為をしないプロレスリングNOAHのスタイルにジャイアント馬場さんの「王道」を目撃した思いがした。

(個を生きる:鈴木みのる)


スポットライトが花道を照らす。入場曲はクラシック・ハード・ロック。登場したレスラーは、アホみたいに煌びやかな衣装に身を包んでいる。ひらりとリングに上がり、片手を挙げる。歓声がひときわ高くなる。これだけの騒音の中にいながら、レスラーに聞こえているのは自分自身の胸の鼓動だけだ。

リングに上がる度、これが最後になるかも知れないと考える。だからこそ、手を抜くことなんて出来ない。

そろそろゴングが鳴りそうだ。OK!用意はいいぜ。俺のハートはいつだってシュートだからな!




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