2009年父親は99歳で逝った。

その日の朝7時半ごろ、朝食(フレンチトースト、メ-プルシロップ、ミルクコーヒー、一口大のバナナとお茶と水)を親父の部屋に運んだ。

「おはよう、ごはんだよう。」声をかけ名がらべっどを除くと薄目をあけて「あ-、-だ--」「・・起きる?」「う-え-え-だ」「ここに置いとくよ、食べなあかんよ」カーテンを開けると薄い日差しが部屋の隅に入った。「後で見に来るよ。」部屋を出た。

自我の強い親父は食べ物をひとに口元に運んでもらうのを嫌がって多少こぼしたりよごしたりすることがあっても自分で気ままに食べたり飲んだりできる。

食べ終わると入れ歯を外してお茶の中に入れ箸でかき混ぜて洗う。そのお茶を口に含みくちゅくちゅと口を濯ぎ、そのまま飲み込む。入歯をを口に戻す。これが毎食後の親父のルーティンだ。

 かつて1970年ごろ、 妹が親父と韓国に旅行し泊まったロッテホテルの食堂でこの入れ歯儀式をやり大いに顰蹙をかって、「あたし恥ずかしくて恥ずかしくて困ってまったわ!」という美勇伝を残した。その妹は50歳で身罷っている。

 そのルーティンが終わった頃合いを見て部屋を覗いてみると

まだ食べてない。「食べとらんねー」ってよく見るとトーストの皿が半月盆の端で傾いてバナナが床に落ちてて・・・・

親父はベッドで足からずれ落ちそうな姿勢で横になっている。

「おーい、どうした?食べれんか?「うーうーーだー」

薄目に力がない。ううん?なに?

何の感慨もわかない幕切れだった。 (to be continued)

三千院