では、まず大山倍達の戸籍について時系列順に追って行きます
①1922年崔永宜出生(戸主:不明、本籍地:全羅北道金堤郡龍池面臥龍里)
②1940年創氏改名制度実施。法定創氏であったため、本名の呼称は変わらず。
③1947年長女馨喜(留壱琴)出生(母は、藤巻照子)
③1951年藤巻照子と婚姻
④1968年5月18日、崔永宜一家帰化届出。崔永宜は大山倍達、藤巻照子は大山置八子に。
⑤1974年3月5日洪順浩と婚姻申告
⑥1974年末、洪順浩との間に長男光範出生
⑦1976年、洪順浩との間に次男光樹出生
⑧1982年、洪順浩との間に三男光樺出生
⑨1994年4月26日、大山倍達死亡。日本戸籍には大山置八子が死亡届出。韓国戸籍には洪順浩が死亡申告。
以上が、『大山倍達正伝』(以下、正伝と記載)から読み取れる、事実関係です。
大山置八子が、産んだ他の娘に関しての記載は省略されていました
この本の結論では、二重戸籍であることをもって二重国籍であるとしていることです
崔永宜=大山倍達であることには、何の疑いもありません。
正伝では、国籍法の条文が引用されているに関わらず、実体法のことは無視し、日本戸籍と韓国戸籍の生年月日の相違を持って、法律上は別人であると断定しています
これはかなり、珍奇な説であるとしかいいようがありません
著者の決定的な間違いは、戸籍の存在=国籍の存在と考えていることでしょう。
身分行為の効力要件として、戸籍への搭載が必要であるという旨が、日韓の法律に記載されたことはありません。これは、国籍についても同様です
名前、生年月日の齟齬や身分事項の未記録は在日コリアンの戸籍実務では当たり前な話であって、然るべき専門家に相談すれば、直ぐにわかる話ですが、金致淳氏(民団顧問)の話を鵜呑みにしたのが間違いですね
大山倍達は、帰化手続きにより日本国籍者となりました。これは、韓国国籍法では、国籍喪失事由に該当します
大山倍達は、韓国国籍を確実に喪失しています
続く