忘れもしない20年前の9月11日。
今でもどこで何をしていたのかをハッキリと覚えています。
当時は携帯はそれなりに普及していたけれどスマホもタブレットもない時代でした。
私は朝から夕方まで市内のホテルでうちの会社が主催していた会議に出席していたのですが、休憩時間に「何やらニューヨークで飛行機が建物に接触して大事故になっているらしい」という情報が入りました。
マンハッタンでは時々ヘリコプターやセスナなどの小型機が建物に接触するという事故は聞いていたので、多分そんな事故だと思って聞き流しました。
そのうちに携帯でニュースを購読している人に速報が入り始めて騒ぎが大きくなっていきました。
でもああいう速報も当時は短いテキストが主で、今みたいにニュース動画とかがそのまま携帯で見れる感じではなかったので、それでも室内にいた100人近い人数でも状況はなかなか把握しきれていませんでした。
そして午後も半ばになっていくとようやく会議室にも正確な情報が入り始め、ホテルの隣のブロックにある連邦の建物に軍隊と警察が送られて警備を固めているとか、軍隊が出動するのに高速道路が閉鎖されるといったうわさも飛び交って会議どころではなくなりました。
高速道路を使って他市から来ている参加者もいたので、その人たちがまず帰れるうちに帰らなくてはと早退し始めて会議は中止。
私たちもオフィスに戻ったところでようやくテレビニュースなどを見て事の次第を知りました。
その2か月後、ちょうど10月の終わり頃に上司とオーランドへ出張に行ったのですが会議があったホテルはディズニーにも近いインターナショナルドライブ沿いで、いつもなら歩道には観光客が溢れどこの店も予約がとるのも難しい時期です。
駐車場所を見つけるのも一苦労。
上司とホテルにチェックインして、他の数名とディナーをすることになりホテルからインターナショナルドライブを北上したのですが、7時というピーク時に関わらず道は空っぽ。歩道にも人影が全く無くてまるで映画のセットのようでした。
「急に都市から人が消えたって、こういう映画なかったっけ?」と言いながらレストランまで行きました。
もちろん駐車場はほぼ空で、人気のレストランもディナーのピーク時なのにほぼ空でした。
その光景を見た時に初めて「この国はどうなってしまうんだろう」って初めてゾッとしたというか、心の底から心配になりました。
あれから早20年。
友人のレストランに勤める若い学生アルバイトの中には当時まだ生まれてもいなかった子もいます。
夜になって誰かが「あ、今日って9月11日だったんだ」って言うのを聞いてある意味嬉しく思いました。
もちろん関係者にとっては一生回復することのない傷が出来たわけですが、それでも社会がここまで回復してすでに歴史になってしまった・・・そこにこの国の強さを感じました。
あの事件を知らない世代がどんどん出てきてあの出来事は歴史の中の出来事や教科書に書いてある事件としてどんどん風化していく。
教訓が教訓として生かされていくのなら、それは回復の証である気がしました。