昨日、友人の家にお邪魔して、

ご飯をご馳走になる機会がありました。

 

その時に友人のお母さんと話した話の中で

伝えきれなかったことがあるので、この場を借りてお話しします。

 

友人の家族には、

今年14、15歳でサッカーチームに通っているお子さんがいて、

 

その子の「これからについて」を悩んでいた

母の悩みを聞かせていただきました。

 

なぜそんな話をここで書くかというと、

 

その子の現在がかなり当時の僕と似ていたところがあったからです。

 

当時の僕は、サッカーをしているよりその時の友達と遊ぶことを優先していました。

 

所属していたサッカーチームとのいざこざがあったりで

僕もその環境から逃げたかった、そんな気が作用していました。

 

結果、中学3年の夏休みの前にチームを退団することになるのですが、

 

僕はそれを後悔したことはありません。

 

確かにサッカーを続けていれば、

それなりのところまでは行けていたかもしれません。

 

しかし、

 

その道を選んでいたら、今の自分は絶対いない。

 

このブログだって書いていないんです。絶対。

 

前の記事でも書きましたが、

 

「今を楽しむ」

 

僕はこれを忘れたことはありません。

 

だって、今を楽しみ続けていたら

 

将来の僕だってきっと楽しんでいるから。

 

サッカーをしていた時も、遊び呆けていた時も、

 

これだけは忘れませんでした。

 

何が言いたいかというと

 

どんな道を歩んでも、その子はその子。

 

道はその子自身が切り開くものであり、

 

親は、その道がおかしいと感じた時に修正する存在である。

 

これを伝えたい。

 

そしてその修正は、さりげなく行うもの。

 

歩むレールは本人に決めさせろって話です。

 

この世に存在し、名を残した人たちが

 

まっすぐ逸れることなく道を進んできたでしょうか?

 

それが真実なら

 

尾崎豊の「15の夜」はこの世に出ていないと思います。

 

盗んだバイクで走り回るのもよし。

 

校舎の窓ガラスを割って回るのもよし。

 

最終的に自分が歩む道を定め、

それが反社会的なものじゃなければ、よしじゃないでしょうか。

 

どの道を辿ることになったとしても、

 

最終的に辿るのはその本人です。

 

辿るべきレールを用意するのが

親の仕事でしょうか。

 

子供が「それていく道」を選択しないように

さりげなく影から支えていくことが

 

親の使命であり、義務であると思います。

 

そしてその子にも伝えたい。

 

「今を楽しむ」を履き違えるな。

 

人に迷惑をかけるな。

 

人を大事にしろ。

 

家族が中傷されるようなことはするな。

 

これは、絶対に守れ。

 

以上、伝えたいことでした!!!