マヤサヤは4歳からシンクロを始めて

小学校1年生から全国大会に出場デレデレデレデレ




3年生で生まれて初めての表彰台にキラキラキラキラ

この時の銅メダルは本当に嬉しく
チームみんなで嬉し涙を流したキラキラキラキラ


4年生で銀メダル🥈

5年生で優勝🏅

6年生で二連覇優勝🏅🏆



中学校1年生で4位

2年生で優勝🏅

3年生で二連覇優勝🏅

優秀選手賞ももらった^ - ^




高校1年生では

優勝して

JOC杯、最優秀選手賞、優秀選手賞を

まやさやですべて手にしたキラキラキラキラハート



高校2年生では
さやが先にジュニア日本代表に選ばれて
マヤサヤ別々の夏を過ごした^ ^



高校3年生の時は

まやさや2人揃ってジュニア日本代表にキラキラキラキラ

ロシアでの世界選手権で銀メダル🥈



大学生になったら

日本代表ナショナルBチームになり

4年間スイスやブラジルや世界中に試合に行ったイエローハーツグリーンハートラブラブ



2009年は2人揃って日本代表ナショナルAチームに選ばれて

ローマで世界選手権に出場したキラキラキラキラ




こんな事を思い出すと


どれだけ自分たちがシンクロの世界で

生きてきたのか?とすこしぞわっとする笑い泣き笑い泣き



半分以上を水中で過ごしているびっくりびっくり



2010年の3月いっぱいで

正式に日本代表を引退したキョロキョロキョロキョロ



この時は

新しい次の世界が始まるって

わくわく、ドキドキ感しかなかったちゅーちゅー



楽しみしかなかったし

好奇心、開放感、自由、など

いろんな感情があった照れ




まやさやが

どうして今まで

誰もやらなかった


プロシンクロ選手という道を

歩む事になったか...


2011年の夏頃のこと。







いちばん最初は

家族のためだった。



マヤサヤは

小さい頃から恵まれた環境で育ち


お金にも苦労せず生活していた。


自営業だったし経済的にも余裕があったんだろう。


海外遠征にも

家族みんなで応援にきてくれた!


おじいちゃん、おばあちゃんにとって

マヤサヤの試合は何より楽しみで

まやさやがシンクロの舞台で輝くことが

夢で

まやさやが生きがいだった。お願いお願い


そんな中、おじいちゃんはまやさやが日本代表になった事を知らないまま


亡くなった。


ものすごく悔しかった!!


そしてがむしゃらに前だけをみて

誰の言葉も聞こえない。ただただ
目の前の課題をこなし

深く考えずにシンクロに没頭したんだ真顔真顔



引退した後は

自営業だった会社がほぼすべてなくなり

180°生活が変わった真顔真顔



この話はテレビでも話した事があるけど

他人にあまり同情もされたくないし

絶対に負けねー!と毎日毎日思ってた。




おばあちゃんは変わっていく生活環境になれず

受け入れられず

なんかどんどん小さくなっていった、、、


それも本当に悔しかった!!


まやさやが家族のためにできる事はなにか?


なにか?

なんだ?

何ができる?


何もできないのか?


シンクロしかできないのか?


悩んだ悩んだ悩んだ!!




導き出した答えが



そうだ!またシンクロで試合に出よう!

家族にみにきてもらおう!


マヤサヤが連れて行ってあげよう!

また、生きがいや夢を持ってもらおう!


そう確信した!



そのためには

まずしっかり自立して

プロになって

稼いで

試合に行って結果を残す


それを仕事にしよう!!



この答えがやっと出せた!!



そこからはものすごいスピードで

準備ができたお願いお願い


たくさん応援してくれる人がいて


支援、サポートしてくれる人がいて

教えてくれる人がいて

気がつけば周りにたくさん

仲間がいてくれた笑い泣き笑い泣き



何もかもが初めての事だから

ルールや道しるべなんてなかった!!


自分達が作るんだ!

作れるんだ!!


最高に興奮したなぁおねがいおねがい



何をプロと呼んで?

何をアマチュアと呼ぶか。



その答えは

ずっと探している。



プールでショーをやったり

水族館でショーをやったり


エキシビションを泳ぐ人達は

パフォーマーだとまやさやは考えているおねがいおねがい



色んな人の前で

シンクロを披露して

照明を使ったり

道具をもったり

人魚の衣装で泳いだり


ショーはとても無限大で

憧れてもいたウインクウインク



でも、まやさやは試合に出たいという

気持ちが強かったキラキラキラキラ


まだプロとして成功してはいない。


まだまだできるし

もっともっと上にいける!

そう思っている。



2011年は試合には出てなくて

エキシビション出演が主に仕事だったキラキラキラキラ



2012年には初めてプロとして

イタリアであったマスターズ世界選手権に

いくことにイエローハーツイエローハーツグリーンハートラブラブ




2013年もフロリダに試合に行けたラブラブ



そしてそして



2014年にはひとつ目標を叶えることができた!!


カナダのモントリオールで行われた


マスターズ世界選手権に

家族を連れて行けたキラキラキラキラ笑い泣き笑い泣き











試合を見てもらうことができた!



金メダルを見せる事ができた!!


嬉しそうに応援してる顔がみれた!!


めちゃくちゃ嬉しかった笑い泣き笑い泣き


すごく久しぶりに

家族みんなで喜べたキラキラキラキラ


そこまで色んなことを準備した

自分達も褒めてあげたい。笑




帰りはすこしだけ

ニューヨークにも寄れた🗽










試合に行くまでは

なに?シンクロのプロって。

金持ちなんだから親にお金出してもらえばいいじゃん。


自分の会社がスポンサーなんでしょ。


シンクロのプロとか意味わからない。


色んな事を言われて

正直、ぶっとばしてやりたいくらい

腹が立った!!



でも今ではそいつらに感謝してる!


マヤサヤのハングリー精神に火をつけてくれて

ありがとうって!!



人の夢や目標を笑うやつに

夢、目標なし。



こう思う。


誰にだって苦しい事や乗り越えた事

失敗したこと、成功したこと、

人それぞれある。



他人が言った言葉なんて

地球上の1人の人間が言った言葉にすぎない。



気にする必要はない。

気にしてしまう場合は

絶対に負けないように突き進む!!




それからは

みんなから

マヤサヤのチームすごいね!とか


いろんなことをどうやってこなしているの?

など海外選手からも聞かれる。


ありがたいことに

試合で新聞やTVインタビューを受けることが

毎回といっていいほどある。



そこでは

しっかりと間違えないように答えたいから


マヤサヤが日本語で話し、マネージャーのHIROSHIが英語でつたえてくれる。



海外でもマヤサヤのプロシンクロ選手という立ち位置に興味をもってくれている。


これはものすごく嬉しいし


自分達が誇れること。




何歳になっても

自分達のやりたい事を貫き通す。



そんな生き方が最高にかっこよくて

地道な努力や我慢や忍耐や決断が

必ず自分達の道を作ってくれる!!



来年の2021年でシンクロという人生を歩み出して30年だ!!



いま、それを目前にして

わくわくしている!!


30年から次は40年、50年と続けたい!!



60歳になっても70歳になっても

プロシンクロ選手です。と自己紹介したい!



マヤサヤはたくさんの人に恵まれて


最高な人生を歩ませてもらってる!!



おじいちゃんの死がなければ


今のマヤサヤはいなかったと思う。


なにもかもがつながるキラキラキラキラ




また、何か壁にぶち当たっても

絶対に倒れない!!

負けない!!




自分達に生まれてよかった!!

まやさやは双子でよかった!!笑


この気持ちは忘れない








また、明日イエローハーツイエローハーツラブラブ