我昔好みし高カラなる趣味 | 木村雅のブログ

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クルアーンは読むより詠唱(読誦)したり聞くことハイカラなるにいひはべり。木村雅のクルアーン初めて聞きけるは中等学校のときなりき。中等学校生徒の我は学校疎ましかりき。いじめられてつはきはべらざるなりけれどくだらぬ同級生と教師と暮らす変わらぬ日々に退屈したりし。倶楽部活動せざりたりし我は(入学して球部に入りはべりけれど嫌なりぐやめましき)学校の終業鐘鳴るに一目散に帰宅しはべりたりき。倶楽部活動せざりたる大半の生徒共はちすぐ帰らず教室にて友垣どもとなりべとは有りはべりき。としごろの中等学生なるが為皆男をみなにてあだへあひはべりたりき。あるとき級のをみな生徒に「何にて然様に共ぐ帰りたるわけ?いへにて然様に興あるわけ?」と言はれはべりき。我は黙とは有りはべりき。我はひっときとも学校に有りたくありはべらざるなりき。校門出でてはればれしし気持ちにて帰宅し、た藁に乗せ自室のベッドにかたはらふしほりとするが日課なりき。我其れより短波無線式音声大衆放送の開閉器入れ埃及の無線式音声大衆放送・改羅にチューニング合はせはべりき。当時中等学校生徒のままにてBCLと呼ばるる海外の短波放送の無線式音声大衆放送聴くことハイカラになひはべりたりき。(我 ソ・北朝・台なる何れの近隣諸国につきてぞ知識や当時の世界情いきほひに詳しかるぞもBCLの経験むなし。) 木村雅 は犬いだきつつ無線式音声大衆放送・改羅(海外向け放送)より流るハイカラなクルアーン詠唱の中継聴くが遊びてしき。学校の束縛憧れ一日にて最も寛ぎせられし時間なりき。日の本にてはクルアーンの溝の凹凸にて音を記録せし円盤などは売らざりたりしし世界的電子情報網事たり浸透せざりたる時代、生のクルアーン聴くことせらるる無線式音声大衆放送・改羅は貴重なりき。クルアーンの詠唱は怪し。亜剌比亜語の意味はつゆわかりはべらざるなりけれど、異次元より聞こえてくる酔ふかし詩ともハイカラ音楽とも点さぬおとなひの流れに身ゆなりてかし有るに、宇宙的にて、キムラミヤビ安き心になりはべるなりき。めのわらはには興味なく、クルアーン聴きつつ犬と寝を遊びに急ぎて帰宅しはべりたりき。