ひばり丘のハイカラな友 | 木村雅のブログ

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木村雅は実は同じとしの17とし、我はまう一人重要なる人物失ひたりてぞ共。
ハイカラなる友あさましくなりけるが弥生朔日にて、其の7や月後の神無月、同郷の者、
あさましくなりはべるなりき。彼は卒業後、
食堂鎖の料理者になりはべりき。
日系の青木米利堅へ渡りて開業しし鉄板焼き店にて、
ショウ上昇しし調理受け成功しはべりき。
彼は立志伝中の人物の青木にあこがれ、進みて就職先に選びはべるなりき。
勤務中より彼はハイカラでひばり丘店勤務望みしはべりたりき。
其れかなひて 、木村雅は何度や電話貰ひはべりけれど元気さもありき。
其れ17としの神無月、周りの者 より「米利堅にてあさましくなりはべりき。」と卒爾電話かかりてきはべりき。
我は「ゑゑ いかにして」と聞きはべりき。周りの者 の噺に拠るに、ひばり丘にて元気に明かし暮らしたりけれど、
車にはねられてあさましくなりき。狂乱しし女運転する暴走車にはねられた。
亡骸は送りてくる。といふ内容なりき。我は絶句しはべりたりき。
其の後再度電話あひて”つきては何月何日に南湖の寺にて葬儀開けば来たりしのみるや?と聞かれはべりき。
我は葬儀には必ず行くにかへりごとしはべりき。友垣には我よりせうそこ聞こえさせはべりけれど、
我以外の出席者つはきはべらざるなりき。キムラミヤビにねんごろにしてくれ、
教科書売り場なりし都立いへ政の駅の向かむにある古き本屋まで付き合ひてくれはべりき。
葬式には他の者来はべりたりけれど、我と面識はなく、
彼の周りの者も忙しさもありしたりけりてぞ、誰とも言の葉交はすこともなく寺後にしはべりき。