★寛永寺~江戸の鬼門封じ~ | 美色【モテイロ】コーディネーター☆木村碧 自分だけのモテ色はあなたの人生までも彩ります♡

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江戸の鬼門封じと言われる 東叡山 寛永寺に参拝してきましたお寺


碧流 ☆ カラーと気学で絶対美人!-ipodfile.jpg

徳川幕府の初代将軍 家康公は、ものすごーーーく方位に凝っていて、今で言う、風水・気学オタクでした。


二代秀忠公の時代にこちらが開かれ、三代家光公の時代に正式に天海僧正が開山という歴史をたどっています。


ご存じの方も多いと思いますが、京都は比叡山 延暦寺が東北に位置し、鬼門除けとして、京都を守っています。


同様に、江戸城の鬼門を封じる「東の比叡山」ということで、東叡山 寛永寺と名づけられました。

また、既存の菩提寺である増上寺と同様、徳川家将軍の霊廟としても有名なお寺です。

歴代15人のうち、6人がこちらに眠っており、子孫の繁栄と江戸の鬼門を守っています。


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こちらの門から先は一般には公開されていません。

年に数回 将軍の霊廟の特別公開がありますので、また別の機会にご報告したいと思います。



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上記は、天璋院篤姫の墓所を表すカンバンです。

数年前の大河ブームでクローズアップされてから、見学希望者が後を絶たないようですね。


今回は、ご覧のとおり、本堂と墓所の一部だけを取り上げさせていただきましたが、もともと、寛永寺って巨大な伽藍で有名でした。


上野動物園の中の五重塔五重塔も、不忍の池白鳥の弁天堂も・・・あれもこれも あの周辺はみーーーーんな寛永寺の持ち物でした。


徳川幕府の威光があって、東の比叡の名の通り、本当に広い敷地にテーマパーク並みの華やかなところだったのでしょうね。


でも栄枯盛衰枯葉とは良く言ったもので、幕府の力が落ちて戊辰戦争でかなりのダメージを負い、本堂も消失。


現在の根本中堂は明治になってから、川越の喜多院から移築されたものになります。


また、大政奉還後も寛永寺が縮小されたとは言え、完全になくならなかったのには、色々と理由があるようです。


その一つですが、輪王寺宮という、現在では葬儀が執り行われる別院があるのですが、こちらは代々天皇の皇子や猶子が貫主を務めています。

これは、もしも西国で、倒幕の動きがあったとしても、東に「天皇」家由来の方がいるということで、徳川を一方的に「朝敵」にしないようにするためだったという説もあるそうです。

こういった安全策があってこそ、残されたのかもしれませんね。


実は、参拝したのは11月4日でしたが、この日は本来は根本中堂は開堂日ではなかったのですが、なぜか開いていました!!


ということで、しっかりとお堂の中でお参りし、お坊様から御朱印をいただきました。


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開堂していた理由をお聞きすると、震災に遭われたり亡くなった方々を少しでも慰めるためとのことでした。



思えばあの災害から今月で8か月・・・。

復興を願い、お亡くなりになった人のご冥福をお祈りする気持ち・・・しっかりと持ち続けたいなと思いました。



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