※後ろに追記しました。
上手に書けないことをわかりながら今回のブログを書いてる。
自分のこの気持ちに、ちっとも追いつくことが出来ないと知りながら
僕は今からキーボードーを叩こうとしている。
それでも、己の無力を知りながら
ただ沸き上がるものを抑えられずに。
奇跡のようなこと、は容易く起こる
奇跡のようなことは、全ての物事を越えるから奇跡のようなことなのであって
そしてそれは、本当に
あまりにも簡単に、驚く程あっけなく起こる。
それはタイミング
なんて並べる必要も無いくらい
ありとあらゆること
僕が産まれてきてから過ごした、出会った、交わした
時間・空間・人・物事・会話・約束
大切っぽいものから2秒後には忘れた程どうでもいいことまで
本当に森羅万象のモノ全てが奇跡だと気づいてしまった。
意味の無いこと等何も無く、意味の無い組み合わせがあるだけなのだ。と
その中でも一際光るものがある。
僕が(たぶん)20歳で初めて太宰治の人間失格を読んだこととか
ちびっこの僕がいつかのテレビから聞いた歌声を、酒を飲むようになってから小さなライブハウスのフロアで
ロックスターの歌声として初めて「再認識」した夜のこととか
僕の人生を変えたアマチュアロックバンドと出会ったいまや出禁のライブハウスとか
古本屋で見つけた十年以上前の「Quick Japan vol.40」に掲載されている記事達
その中でも僕にとってはとびきり特別な
どうしようもない愛を感じ取ることであったりだとか。
だめだね
この続きが僕には書けない。
もったいないわけでも、僕じゃ力不足だ なんて簡単な話でもなく
これは今の僕では書けない。
僕自身が感じて、溢れたこれはキャパオーバーとかそういう次元ではなく
今の僕では表現できない。
それはきっと真理の中での決めごとで、書ける範囲に存在していない。
いつ出来るようになるのかも到底わからない。
もしかしたら15分後に書けるようになるかもしれないし
死んでも書けないかもしれない。
わからない
ただ、悔しくは思う。
これをかけたのなら僕は芥川も直木も受賞できたかもしれない。
いや、そういう内容の文章では間違いなくないのだけれども。
まぁ、無理だ。
やっぱり書けない、
すまない。
なんてよくわからないブログだろうか。
まぁ、これも含めて
きっと
全部全部この世のものは奇跡の素材になり得る。ってこと
わかんないだろうなぁ。
僕だって入り口にが遠くに見えた程度で
その入り口の扉、神が宿っているであろうディテールすらも見えていないのだから
扉の奥は勿論、行き着く場所なんて
まだまだ全然わかんないや。
いつか、少しでも見えたら良いのに。
人間最高の欲求は食欲でも睡眠欲でも性欲でもなく
知識欲である。
ご飯食べたいし寝たいしセックスしたいけれど
何よりこの世のすべてを知りたいのが、人間なのだ。
いや、そんな大層な話は辞めよう。
それが僕なのだ。
それは死んでも叶わぬ願いだろうが
それでも求めてやまないのだから仕方ない。
あー
わかんないね
さよなら!
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と書いたブログの数時間後に
さっきよりは落ち着いて
と言っても結局想い通りには一億分の一も書けやしないんだけれど
少しぐらい具体的なことを書いて
共有しやすいようにしようかと思います。
本当に少しだけれど。
(ここから追記です)
さっきのブログを書くに至ったのは
先述した中にあった
古本屋で見つけた十年以上前の『Quick Japan vol.40』に掲載されている記事
表紙には板尾創路(大好きです)
そしてどどんと書かれた「小沢健二を追って-。」の背表紙。
小沢健二を偏愛する僕はこの文字にほいほい釣られて
すぐさまレジへ行ったのでした。
そして読んでびっくり
どの記事もサブカル気取りの似非粋人である僕の心を
くすぐり、えぐり、撫で、掴み、引きちぎり、締め付け、踊らせ、優しく愛撫するような記事ばかりではないか。
僕は恥ずかしながらほとんどQuick Japanを読んだことが無かったので
それはもう、嬉しい出会いに溢れて
今のところ1頁たりとも飛ばさず読む程おもしろい。
その中でも
最も僕の琴線を刺激したのがやはり小沢健二について
中身については詳しくは書かないけれど
これは今までの僕の
僕だけではないみんなからの
憧れやイメージ、発言、そして作品
全ての小沢健二への良し悪し(善悪ではない)をもひっくるめた愛
いや、それこそ記事の最後でも出てきた「神格化」のようなものに
ひとつ終止符を打つ
非常に身勝手で、真っすぐな
異常な程に誠実な、ひとつのラブレターようなもので
これは世代を問わず小沢健二に心酔する僕らにとってはあまりにも痛い
素晴らしい文章だったのです。
この文章の素晴らしさを僕は言葉にできないし
する必要もたぶん無い気もしています。
ただ、僕はこの青春の終わりを知らせるかのような
強烈な痛みと寂しさを伴う
わかりきった一つの現実をしっかりと見せてくれた文章が
大好きだったのです。
大塚幸代さんという方が描かれたこの文章と
そして小沢健二に多大な感謝と愛を。
それらが僕をこのブログに駆り立てた原因だったのです。
でもやっぱり全然伝えたいことが書けないや。
悔しいなぁ。
それともう一つ言うなら
曽我部恵一×小西康陽の対談。
これの中に出てきたとびっきりの逸話
曽我部恵一の「ギター/月」というシングル
僕が随分と昔にこれまた中古CDショップで見つけてほったらかしにしていた物でして
偶然にちょっぴりドキドキしてようやく初めて聞いたら
なんかちょっと泣いちゃうくらい何かよくわからないものが溢れて
いとも容易く起こる奇跡だな。なんて話だったのです。
とにかく
何かの物事に出会うタイミングというのはあって
それはもう運命のように決まっていると
運命論者の僕は思っていまして
僕は幸いにもそういう出会いを
このQuick Japan以外にもいろいろたくさん重ねてきたのです。
そうして今の僕はこうしていますよ。って話。
あぁ
僕文章書くの下手なんだよ。
この才能が本当に欲しかったよ。
これはきっと誰にも伝わりません。
僕の奇跡は僕のものだし
あなたの奇跡はあなたのものですから
ただ僕らに出来ることは
全ての事象に対して、仮にそれが偏っていたとしても
愛を持って、全てを心にしまい続けるだけなのです。
それでは
さよなら、またね