都構想について、
総論をしていないにもかかわらず、先に各論を。


評論家ではありませんのであまり評論していても仕方ないのですが、
自分に落とし込んでいくと、
チームにおいてひとりひとりの意識って大事だなと思ったので
忘れないように書いておきます。



産経ニュースより



要約すると
というか、気になるところをピックアップすると、

・橋下市長の政界引退を本気で止める議員がいたこと
 (涙ながらに)


・維新の中には危機感のないメンバーがいたこと
 橋下市長とメンバーの危機感のギャップ



ということが書いていまして、


前者については
本当に橋下さんはしたわれていて
強い絆で結ばれていたのだなぁと思います。

私も今回の市議選で大事な仲間を失ったので気持ちがややシンクロしました。


後者については、
もちろん、危機感のあったメンバーもいたとは思うのですが、
全体での意識統一はできなかった、逆に言うと
橋下市長のパワーが凄すぎて、
「彼がいるならなんとかなるだろう」みたいな空気はあったのかもしれないですね。


今更言っても仕方ないことですが、
冷静に見ると、
統一地方選挙でも、
市長選挙では負けていますし、
府議選、大阪市会議員選挙でも
1人区では維新が負けているところもありますので、
余裕の戦いではなかったはずです。

今でも十分支持層はいますが、
全盛期の維新に比べると支持率が落ちてきてもいますし。

(といってもなかなか冷静に見れなくなるんですよね)





それに比べて、
自民共産公明などには橋下さんほどのスターはおらず、
府連代表、市議団幹事長などなどもいましたが、
自民党に関しては安倍総裁もどっちつかずの態度で、
大阪府自民党からしたら上にも頼れない状態で、
それが余計に「私たち一人ひとりが頑張らねば!」につながったのかもしれません。

勝つためにはなんでもする!

ということで、
色々と考えた末、自民党と共産党が組むという歴史的な出来事も起こったのだと思います。
あと、辻元さんが自民党の街宣車の上で演説するとかも。

これがいいのか悪いのかというと、
個人的にはやはりどうかと思いますが、
私は争点ごとに是々非々で臨むのはいいと思っているスタンスです。


そう考えると、
組むとき、組まないときはあってもいいと思いますから、
この都構想に関しては組むということはあってもよかったのかもしれません。

一つのイシューに対しての賛成と反対だけですから、
自民と共産が組むということもやりやすかったのかもしれません。



大きなところで言うと、
やはり維新は橋下市長ありきだったと思いますので、
これから橋下市長を失った維新はどうなるのでしょうか。

一般的にはもうバラバラになっていくとも言われていますが、
頼れるリーダーがいなくなれば、ほかのメンバーが奮起するということも考えられます。



やはり頼れるリーダーがいることも必要ですが、
メンバーひとりひとりの意識、
いわゆる当事者意識は本当に大事と改めて感じます。


ということで、
今所属している5人会派で
私は一番年下ではありますが、
当事者意識を持って、
あまり遠慮はせずに発言させていただこうと思います。

(これまでもそうさせていただいていましたし、
 会派のメンバーはそういうことも許容していただける方々です。)




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「悔いのない政治家としての7年半だった」。こわばったような冒頭の笑顔は、記者とのやり取りを重ねるうちに自然な表情へと変わった。これまでなら「答えません」と一蹴(いっしゅう)するような質問にも笑みで応じた。「大阪都構想」の住民投票に敗北した17日夜、大阪市内のホテルで大阪維新の会代表の橋下徹は吹っ切れたように政治家引退を宣言した。

 多数決による「決める政治」を信条とし、選挙を「究極の民主主義」と表現してきた橋下。住民投票に勝てば、いずれは堺市を大阪都構想に参画させるために市長候補になる可能性も周囲に話していたとされる。しかし「たたきつぶすと言って、こっちがたたきつぶされた」。橋下らしい引き際とも言えた。

 隣の部屋は修羅場のようだった。維新の党代表辞任の意向を固めた江田憲司の腕を、大阪府議の浅田均が「やめんといて」とつかんだ。江田は泣き、「トップは責任を取らないとダメだ」と譲らなかった。

 会見を終えた橋下が部屋に入り、メンバーに謝意を述べた。「やめるなんて言わんといてください」と叫ぶ衆院議員の馬場伸幸に向かって橋下は「そんな顔しないでください。家に帰って馬場さんの顔を思い出して、泣いてしまう」。馬場はおえつを漏らした。


混乱ぶりは維新への打撃の大きさを物語っていた。

  ■  ■  ■

 公明党の翻意で住民投票実施の流れができた昨年末、維新は浮足だった。橋下は「今やったら勝つと思うが、そんなに甘くない」とクギを刺したが、その言葉は現実となった。

 「橋下、お前嫌いじゃー」。5月10日、大阪市北区の扇町公園で開かれた都構想の反対派の集会。司会者の絶叫に出席者の雄たけびが続いた。行政改革、選挙で対立してきた大阪の自民、民主、共産各党、官公労関係者が顔をそろえた。平成25年秋の堺市長選で維新候補を退けた市長の竹山修身の姿もあった。20年2月の知事就任以来、橋下が「ふわっとした民意」を背に切り込んだ相手が「打倒都構想」で結束した。

 反対派は大阪市分割がもたらす住民サービスの低下や財源の懸念を中心に批判を展開し、橋下は釈明に追われたが、橋下と対照的に周囲の危機感は高くなかった。選挙戦最終盤に追い上げる成功体験もあり、維新議員は「ちゃんと活動してたのは3分の1ぐらい」と打ち明ける。

 住民投票終盤の全体会議で松井が「われわれ自身が『最後に強い』なんて言ったらやっつけられる」と戒めたが、松井退出後の会議室では冗談が飛んだ。


橋下は周囲に「覚悟を決めさせるために議員から辞表を集めておけばよかった」と冗談めかしたとされる。側近は「橋下独りが危機感を背負い込んできた」と思った。

  ■  ■  ■

 「よっしゃー」。17日夜、自民府連の幹部たちは反対多数のニュース速報に叫び声をあげ、両こぶしを突き上げた。

 カメラの前で手を取り合い、表情をほころばせる。ただ1人、自民市議団幹事長の柳本顕は険しい表情を崩さなかった。「賛成に投票した人がこの光景を見たら、いい気持ちはしない。この戦いに勝者や敗者を作ることは好ましくない」という理由だった。

 有効票数のうち賛成は49・62%、反対派50・38%で僅差だった。柳本は「私たちは51の方に立ったが、49の民意をくみとり、市政を調和でもって取り戻していきたい」と語る。

 投票箱が締め切られるまで、賛成派、反対派の双方が主張をぶつけあった。大阪市の存続は決まったが、街は二分された。18日には反対派に加わった市民団体が市役所近くで勝利集会を開き、橋下の即時辞職を求めた。調和への道は容易ではない。(敬称略)

     ◇

 橋下氏が5年余りかけて作り上げた「大阪再生」のプランは露と消え、街には戦いの「爪痕」が残った。対立から調和へ。新たな道へとかじを切った大阪政治の底力が試される。