旧中山道六十九次・街道を歩く
第22回c 下諏訪宿~長久保宿
令和 7年11月17日(月)
主催 ・ トラピックス名古屋(阪急交通社)
中山道六十九次街道を歩く全28回シリーズ
06:30 モーニング/ホテル内
昨日と比べると、今朝は少しだけノンビリと感じる朝食タイムです。
07:30 バス出発/ホテルCO
毎回の事ながらが、ツアーの皆さん方の時間やマナー厳守には頭が下がる思いです。
道の駅「和田ステーション」/準備体操
再び和田ステーションに立ち寄り、永井ウォークリーダーの下で準備体操をして体調を整えます。
09:03 スタート/バス亭「男女倉口」付近
昨日の最終地点に戻り、 和田宿 を経由して 長久保宿 を目指して歩き始めます。
歩き中山道
清々しい山の道、呼吸する度に空気の美味さが感じられます。
歩き中山道
国道142号線から古中山道に入り、近くに在る「唐沢の一里塚」へと向かいます。
唐沢の一里塚
江戸日本橋より51里目の一里塚です。
天保2年(1831年)、街道の付け替えにより山中に残されたことで、往時の原型をほぼ留めた貴重な塚です。
きのこ岩?
近くに説明分など無く、後で調べようにも全く手掛かりが掴めませんでしたので、詳しい事は不明なキノコ岩?です。
男女双体道祖神?
資料が無く、詳細については不明です。
でも、未だに地元の方々によって大事に祀られている様子が伺われます。
中山道和田宿京方入口
如何やら、この辺りから和田宿の京方と思われます。
長和町巡回バス「なごわごん」停
町内のバス停は、茅葺屋根など多くのユニークなデザインが見られました。
鍛冶足の一里塚跡
江戸日本橋から50里目の一里塚です。
和田宿の京方に設けられた一里塚でした。
曲水句碑
菅沼曲水(曲翠)は芭蕉の門人であり、また大津膳所藩の中老でもありました。
” 天ほの我村 雪に山笑ふ ”
富士山?
遠望の富士山をパチリ、そのつもりが、安物のコンパクトカメラには写っていませんでした。
11:05 ランチ/和田ステーション食堂
昨日のウドンとカツ丼の翌日は、想像通りの○○と○○○○でした。
詳細は、後日改めて投稿の予定をしています。
男女双体道祖神?
ヒッソリと、佇む石碑は「男女双体道祖神」と思うのですが?。
詳しい事は、残念ながら資料不足のため調査不明でした。
八幡神社
八幡神社本殿は、江戸時代中期の社殿建築の遺構として貴重な事から昭和46年(1971年)に長和町指定文化財に指定されました。
和田城主の大井氏居館の鬼門除けとして建立され、後に和田宿の守護神となりました。
本殿は、拝殿と覆屋を併合した入母屋の珍しい造りです。
” 神社らしくない意匠が気に入ってます ”
芹沢の一里塚跡
江戸日本橋より49里目の一里塚です。
上組の一里塚とも呼ばれ、昭和35年(1960年)の道路改修で取り壊されました。
三千僧接待碑
元々は、信定寺別院慈眼寺境内に建立されていましたが、寛政7年(1795年)にこの地に移されました。
諸国遍歴の僧侶への接待碑で、一千人の僧侶への供養接待を発願して結願し、二千を増した三千人への接待を発願したと碑文に刻まれています。
碑を見れば、誰の目にもわかるように一千僧の一の字を三千僧の三の字に改刻した跡が歴然としています。
みみず道祖神
碑は、この地に住む人々の希望により感謝の気持ちで祀りました。
蚯蚓(みみず)の地区では、「みみずの糞」によって良質な土壌を生成し、また「みみずの干物」を煎じて解熱剤として使っていました。
馬頭観音碑/バス亭裏
江戸時代のものらしいですが、大きな馬頭観音碑の上部には破損した部分の補修跡もみられます。
牛頭天王常夜灯
常夜灯には、寛政12年と彫られています。
歩き中山道
地元の方々からは、晩秋のウォーキングを楽しんでいるように見えると思いますが、ツアーの皆さんは周りの景色よりも、意外と今晩の晩酌や夕飯のことを考えているかも知れませんネ。
四泊の一里塚跡
江戸日本橋より48里目の一里塚です。
今は、一里塚跡を示す史跡案内板だけが建っています。
昭和35年(1960年)の道路改修以前までは、ここには榎の大木が植えられていて、町民から「エノキの木のある所」として親しまれていました。
歩き中山道
そろそろかな、もう 長久保宿 も近いと思いながら歩いています。
中山道長久保宿
中山道六十九次のうち、江戸から数えて27番目の宿場でした。
元々は、長窪宿と表記されていました。
長久保宿は当初、現在の位置よりも西側の依田川沿いに設けられていましたが、依田川の大洪水によって流失したため寛永8年(1631年)に高台の現在の地に移りました。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、
人口 ・ 721人(男 341人、女 380人)
家数 ・ 187軒
本陣 ・ 1軒
脇本陣 ・ 2軒
旅籠 ・ 43軒
中山道の難所である和田峠や笠取峠を控え、北国街道の分岐点に位置していたことから、おおい時には43軒の旅籠があり、信濃の中山道26宿の中では「塩尻宿」に次ぐ数を誇る大規模な宿場でした。

旧旅籠辰野屋
辰野屋の竹重家は、江戸時代には宿場の役人を務めていました。
主屋は、出梁造りで総2階建てで、幕末期の建築と推定されます。
歩き中山道
帰路の時間も有り、宿場を楽しみは次回に持ち越しとします。
14:38 バス乗車
ツアーの皆さん、三日間の 歩き中山道 お疲れ様でした。
道の駅「マルメロの駅ながと」
休憩で立ち寄りましたが、暫しの休憩を終えて今回の信州 歩き中山道 を終了します。
毎回、機会があれば歩き中山道の〆に食べています。
17:13 中央道「恵那峡SA」/休憩
途中のSAでは、バス車内にて簡易な夕飯としました。
19:45 自宅着
2泊3日の歩き中山道最終日は、バスの移動距離は約250kmで、万歩計は26,377歩と表示されていました。
最後になりましたが、永井ウォークリーダーを始め一緒に歩いた添乗員さんや、バスの安全運転に徹したドライバーさん、3日間ご苦労様でした。



































